普門軒の禅寺日記・京都の宿坊・お寺に泊まる

ブログトップ

禅と建築

鎌倉時代に禅僧は、禅という新しい宗教の教えとともに、書道、山水画、茶道、武道など、禅の教えや世界観を表現したいろいろな文化ももたらしました。その中に寺院建築と庭園があります。

特に寺院建築および庭園には「天地と我と同根、万物と我と一体」といった禅の世界観が強く表現されています。禅宗のお寺さんでは、他の宗派のように青や赤、金といった華麗な極彩色豊かな装飾は見られません。また禅宗では儀式だけでなく、禅僧の生活そのものも重視するので、東司(とうす:便所)や浴室なども七堂伽藍(お寺にとって重要な建物)に加えられています。

いわゆる四畳半の和室(書院座敷)は、もともと禅寺の住職の居室がその原型なんです。雅な平安貴族の大陸文化の色濃い寝殿造りから、質素、質実な日本独自の書院造りへと発展していきました。

でも最近は、どこの文化に属すのかわからない建築物であるマンションに暮らしのジャパニーズが多くなってきています。そういう人は早く自分の過ちに気づいて、日本人の伝統的な生活空間に戻ってください。実は普門軒にもそのマンションのために非常に非常に非常に大きな打撃を被っているのです。この話はまた後日…。
c0154437_22212649.jpg

[PR]
# by fumonken | 2008-01-18 18:50 | 禅・仏教について | Comments(0)

食事事情から見える日本の戦後

麦は戦後、米国、豪州、加奈陀によって、自給率を下げられてしまいました。戦前は自給していたんですよ。彼らは小麦や他の穀物、食物を買わせるため、要するに儲けるため、敗戦した日本にそういう政策をとらせたわけです。日本人が野菜や魚中心の食べ物から肉やパンなどの洋食化はその結果です。

今では麦の自給率十%。これは麦に限ったことではありません。米以外の食料がほとんどそうで、自給率は約四十%。穀物に至ってはなんと二十四%。これは米も含めていますから、米を含めない数字を出せばえらいことになるでしょう。

そんなことを考えながら、麦を混ぜて、ご飯を炊いています。
[PR]
# by fumonken | 2008-01-17 18:37 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

お坊さんは何食べてんの?

よく聞かれることの一つに食べ物のことがあります。「お寺では何を食べてるの?」。答えは、お野菜です。肉食(にくじき)、生臭は食べません。こう答えると、「お魚は食べるんでしょ」って聞かれます。意外なことに肉食というと豚やトリを思い浮かべるようですね。お魚も食べないんです。だから出汁(だし)も鰹出汁は使いません。昆布だしです。

お米には少し(一割程度)麦をいれて食べます。麦の態度はそのお寺によって違うと思います。昔、白いお米は貴重で、麦飯に白米を入れていたその名残です。でも今では麦の方が貴重で、白米に麦をいれるという逆転現象になってしまいました。その理由は…。
[PR]
# by fumonken | 2008-01-16 11:52 | 日課抄・歳時記 | Comments(2)

月参り

月参りはお寺にとって大切な仕事の一つです。檀家さんのお宅へ言って、お参りします。その家のご先祖さんはお寺のお墓にもいらっしゃるし、家の仏壇にもいらっしゃいます。つまり仏さん(ご先祖さん)とともに住んでいるんです。欧米ではそんなことありません。日本はとってもすてきな文化です。

坊さんが檀家さんのお宅へ月参りに行くことは、一種の家庭訪問みたいなものです。みんな元気かな。変わったことはないかな。その家のことを自分の家のことのように思う心は坊さんにとってと手元手も大切なことだと思っています。

残念ながら普門軒は今、月参りが数軒しかありません。これからもっともっと増やしていきたいと思っています。特にお年寄りの檀家さんのところには積極的に足を伸ばしていきたいです。お婆ちゃん元気かな。おじいちゃん元気かな。
[PR]
# by fumonken | 2008-01-15 17:43 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

普門軒(ふもんけん)とは

この小さな小さな禅寺の名前は普門軒(ふもんけん)といいます。普門とは、普(あまね)き門戸の意味。普(あまね)く門を開いていること。それは観世音菩薩(観音様)の姿であることを意味します。

では観世音菩薩とは。世間の衆生(一切の生きとし生けるもののすべて)の救いを求める音声を観し、救ってくださる菩薩さんです。ちなみに菩薩さんとは、悟りを開く前の修行時代の仏さんのことです。

では普門軒を訳するならば、観音さんのお寺と言うことになります。普く開かれたみんなのお寺、たくさんの人たち、人間だけじゃありません。生きとし生けるもののすべてが集まるお寺と私は思っています。将来、ここに来る前からお寺に入ったら宿坊を開きたいと思っていたので、まさに普門軒はその名の通りです。

ところで「普門軒」は何で「普門寺」ではないの? という疑問があろうかと思います。お寺に昇格する前の小さな坊舎を院、庵、寮、軒などと言います。概して小規模の建築のものが多いです。普門軒も本堂と庫裏(くり:居住空間)だけの小さなお寺です。普門軒、私はこの名前、結構気に入っています。いかにも隠居寺というか、隠れ家的な禅寺。
c0154437_162265.jpg

[PR]
# by fumonken | 2008-01-14 16:02 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

今日は大作務

「一日作(な)さざれば、一日食らわず」と昔の中国のえらーい百丈禅師(ひゃくじょうぜんじ)というお坊さんがおっしゃって以来、作務(さむ)は禅寺にとって大切な修行です。修行道場では、薪を割ったり、農作業をしたり、境内の剪定などありとあらゆることを自分たちでします。

今日は友人が来てくれました。午前から「大作務」(おおざむ)です。大作務とは作務の時間が長いことです。大作務の日は、日頃できない大がかりな作務をします。今日は二人で石作務をしました。石作務とは、庭に敷石を引いたりする作務です。裏庭が雨が降るとぬかるんでしまうので、そこに敷石を引きました。できあがったとき、また写真をアップしますね。

ちなみに「働かざる者、食うべからず」とは共産主義の言葉です。その語彙は上司など他のものからの強制の言葉であり、受動的な言葉ですね。その点「一日作(な)さざれば、一日食らわず」は、自分の意志を表した能動的な言葉ですよ。うーむやっぱり、禅宗はいいなー。
c0154437_23335359.jpg

[PR]
# by fumonken | 2008-01-13 16:31 | 作務 | Comments(0)

宴もたけなわ

冬夜では宴もたけなわになってくると、一発芸の時間です。横笛を披露してくれたり、琵琶の演奏、オカリナの音など、お寺は大正時代か、昭和初期の雰囲気になってきました。本来もっている日本人の調子とは、それは音頭であり、節であり、七五調でしょう。それを心地よいと思える気持ちはまだまだ心の憶測にありますよ。

来年は私も何か一発芸を披露できたらと思っています。他のみんなも触発された様子でした。みなさんおつかれ様でした。来年もどうぞお越しください。
c0154437_10334150.jpg

[PR]
# by fumonken | 2008-01-12 10:33 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

冬夜:ちょっと過ぎてしまいましたが…

ちょっと過ぎてしまいましたが、十二月のこと。十二月の冬至の日、一年の内で夜が一番長い日です。その夜、お寺では「冬夜」(とうや)とよばれる無礼講の忘年会が開かれます。私がここに来て初めて信者さん(友達)を呼んでの行事です。ご馳走と薬水(お酒)が振る舞われます。

前日より買い物などに出かけて準備をしました。室内のしつらえ、掃除、お花を生けたり、軸をかえたり、そうそうご馳走はもちろん精進です。すべて野菜で作りました。生臭はありません。飯、汁、たき物、和え物…。そうそうウナギに似せたギウナというものや、レンコンハンバーグも作りました。

宴もたけなわになってくる頃…。
c0154437_951097.jpg
c0154437_10181762.jpg

[PR]
# by fumonken | 2008-01-11 09:51 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

貪・瞋・癡(とん・じん・ち)

貪・瞋・癡(とん・じん・ち)とは、仏教において克服すべきものとされる最も根本的な三つの煩悩を指し、人間の諸悪、苦しみ、悩みの根元です。三毒ともいいます。

・貪(とん):貪欲(とんよく)ともいう。はてしなくむさぼり求める心。
・瞋(じん):瞋恚(しんに)ともいう。怒りの心。
・癡(ち):愚癡(ぐち)ともいう。真理に対する無知の心。

これらの煩悩を克服する術として、禅宗ではお釈迦様がそうされたように、坐禅を重視しているわけです。
[PR]
# by fumonken | 2008-01-10 10:39 | 禅・仏教について | Comments(0)

四九日にすること…その1剃髪

僧堂(そうどう:修行道場)では、四と九のつく日を「四九日」(しくにち)といい、この日は剃髪(ていはつ)と言って、頭の毛を剃ります。また午前中は四九日掃除といっていつもより長めの掃除の日です。掃除の後は開浴(かいよく)といってお風呂に入ります。つまり四九日の日以外はお風呂に入れません。

私もできる限り、僧堂の生活用式を踏襲したいので、四九日の日に剃髪、四九日掃除、開浴をしています。剃髪は頭をお湯でぬらし、それからひげ剃りでそっています。お釈迦様は「貪・瞋・癡(とん・じん・ち)の心が起きたならば、まず自ら頭の毛を摩(な)ずべし」とおっしゃったそうです。それで坊さんといえば丸坊主なんですね。
c0154437_17132863.jpg

[PR]
# by fumonken | 2008-01-09 09:39 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

火鉢暮らしいかがですか

そうそう櫓ごたつとは炭をつかったこたつです(ちなみにここには電気ゴタツはありません)。だから石油代が上がろうがあまり関係ありません。「火鉢暮らし」は本当にいいですよ。火鉢だとお湯は沸くし、餅は焼けるし、鍋は火にかけておけるし、加湿器にもなるし。一石何鳥にもなります。ここでは、解定(かいちん:就寝のこと)前に、火鉢のお湯をポットに入れておきます。そうすると朝には暖かいお湯が使えるわけです。あまったお湯を湯たんぽに使い、さらに余ったお湯でお茶を作っておきます。一晩で結構わきますよ。
c0154437_22381784.jpg

[PR]
# by fumonken | 2008-01-08 07:34 | 日課抄・歳時記 | Comments(1)

今年はあったいですね

今年の冬は本当に暖かいですね。この小さなお寺の暖房は火鉢と櫓ごたつです。お客さんが来たときはストーブをつけます。ただし親しい友人、もとい親しい信者さんたちの場合はストーブはつけません。

私の中では七十歳以上のご老人がいる場合、もしくは六歳以下の幼児がいる場合はストーブをつけようと思っています。何でストーブをつけずに火鉢で過ごしているのか、それは冬は寒いものだからです。でも寒さって意外になれるものです。これは多くのお年寄りは「あたしゃ、暑さは弱いが寒さは強いよ」っていいます。みなさんもここに来るときは重装備でお越しください。
[PR]
# by fumonken | 2008-01-07 11:42 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

お正月も終わり

お正月も終わり、また普段の生活が始まります。暮らしに終わりはありません。お寺の坊さんはその暮らしぶり自体にその坊さんの価値があると思っています。暮らし方、生き様はとっても重要です。「境涯」ともいいます。そんな境涯がにじみ出るような坊さんになりたいです。それは日々の暮らしをまじめに、質素に、淡々と過ごしていくしかありません。それでいいんです。そこに価値があるんだと思います。

ハレの日ではなく、ケの日(普段の日)ほど、坊さんはかっこよくなくちゃいかんと思います。そう信じて日々を過ごしていきます。
c0154437_22365030.jpg

[PR]
# by fumonken | 2008-01-06 13:41 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

家紋の謎

お寺では、旧家もそうだと思いますが、行事のあるハレの日には門幕を張ります。山門には白い幕を、玄関には紫の幕を張ります。

門幕にはお寺の家紋がついています。その家紋でおもしろいことがありました。この寺の家紋は「抱き菊の葉に菊」の紋。この紋は明治天皇自ら考案なさったもので、明治維新の功臣である西郷隆盛も、明治天皇より賜った紋です。「天皇を左右から補佐せよ」という意味が込められていました。西郷は恐懼(きょうく)して退下し、家人を集め、その旨を話し、「この紋は、一代限りのもの」と戒めたそうです。そのため、西郷家の子孫にこの紋は伝わっていません。

ここに二つの謎が出てきました。この寺は江戸時代中期に始まっています。家紋が明治天皇が考案されたとなると、その前は違う家紋だったのか? 二つ目の謎は明治四年(1871年)には皇族以外の菊花紋の使用が禁止されていたと言うことです。戦後には解禁されます。この小さなお寺の門幕には明治四十五年に作ったことが記されています。これはどういうことでしょうか。こういう歴史の謎の解明も坊さんの大切な仕事なんです。
c0154437_22394847.jpg

[PR]
# by fumonken | 2008-01-05 18:15 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

札配り

元旦から三日まで祈祷した般若札を四日に檀家さんや信者さんに配って回るのが古くからの習わしです。これを「札配り」といいます。でもこの寺は、町のお寺でもあり、昭和の初期に移築されたこともあり、今は檀家さんや信者さんと遠縁になっているので、その習わしはなくなってしまいました。是非私の代からこういった習わしを復活させて行きたいと思っています。

ちなみにお寺では元旦から三日まで檀家さんや信者さんが年頭のあいさつにきて、四日に和尚さんが般若札の札配りに回ります。私は今年、このお寺にきたばかりで右も左もわからなかったので、般若札は私の祖母にだけ配りました。来年からは檀家さんや信者さんにも配っていきたいと思っています。
c0154437_22403845.jpg

[PR]
# by fumonken | 2008-01-04 10:20 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

お正月の行事…修正会その2

修正会の祈祷は大般若経(だいはんにゃきょう)というとても長い長いお経を転読という読み方で読みます。それはとにかく大きな声で「大般若波羅密多経 巻第○○ 大唐三蔵法師玄奘奉就訳(だいはんにゃはらみたきょう かんだい○○ だいとうさんぞうほうしげんじょうぶじょうやく)」と叫び、ついで「降伏一切大魔最勝成就(ごうぶくいっさいだいまさいしょうじょうじゅ)」とさけびます。大きなお寺では六百巻の大般若経があり、それをたくさんのお坊さんが大きな声を張り上げ、手分けして、読み上げるわけです。

でもここのような小さなお寺では一冊のまとめたものを、和尚さんが一人、大声を出して読み上げるわけです。それと同時にその期間、「般若札」(はんにゃふだ)というお札も祈祷されます。

ちなみにこの六百巻もある大般若経をまとめたものが般若心経なんです。
[PR]
# by fumonken | 2008-01-03 18:19 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

お正月の行事…修正会

禅寺では元旦から三日まで「修正会」(しゅしょうえ)といって前年のいろいろな過ちを懺悔し修正する法要・祈祷が、朝(っぱら?)に行われています。そしてこの三日間は檀家さんや信者さんが年頭の挨拶に来るわけです。でもこの小さなお寺にはその風習が残っていません。この二日間で四組くらいの方がお墓参りに来ました。残念です。でもこれから時間をかけて年頭の挨拶ができるように、信頼関係を作っていきたいです。

そうそう、普段の本堂の荘厳は以下の写真の通りです。ずいぶん違うでしょう。ハレとケのある暮らし、いいですよ。これは日本人の季節、自然とともに生きる暮らし方の表れです。
c0154437_22415464.jpg

[PR]
# by fumonken | 2008-01-02 11:37 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

あけましておめでとうございます

あけましておめでとうございます。本日よりブログを始めます。私は昨秋小さな禅寺の住職となりました。右も左もわかりませんが、その日その日を楽しんで暮らしております。平成二十年一月一日を期にできうる限り、ブログをあげていきたいと思います。一口にお寺といっても、このブログではお寺のハレとケを紹介していくつもりです。ハレとは祭事や行事などで、ケとは普段の生活です。

まずは元旦。お寺にとっても大切な日です。つまりハレの日です。ハレの日はお寺の「荘厳」(しょうごん:飾り付け)が変わります。普段は質素な荘厳の禅寺のハレの日は少しは派手になります。本堂も下の写真のようになります。普段の荘厳はまた違う日に紹介します。今日はこのあたりで。徐々に書いていきますから。
c0154437_22433281.jpg

[PR]
# by fumonken | 2008-01-01 10:00 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)