普門軒の禅寺日記・京都の宿坊・お寺に泊まる

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私と公

気がつけば、すでに9月。2ヶ月もブログを更新していないと、いろいろな方面からどうしたのかと失跡をいただく。久しぶりにブログを更新しなくては。やはり関心のある漢字ついて書こう。

「私」という字は、穀物という意の「禾(のぎへん)」に、囲うという意の「口」(のちに「ム」となる)からなる。穀物を自分だけのものとして囲うというのが「私」の語源だ。「ム」という字は「自分だけのものとして囲う」というのである。非常に興味深い。

一方、「公」は、「自分だけのものとして囲う」という「ム」という字と「八」の字からなる。自分だけのものとして囲っているものをどうするというのか。

実は「八」の字の意は「開く」という意の字であるという。

自分だけのものとして囲っているもの、もしくは囲もうととしたものを「開く」というのが「公」の語源なのである。



ちなみに「和」という字は、「禾」と「口」から成り、「私」の字のように穀物を自分だけのものとして囲うという字のように見える。しかし「和」の「禾」はのぎへんではなく、加わるという意で、部首としては「口(くちへん)」の字である。「和」は人の声に応じ合わせるというのがその語源である。
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# by fumonken | 2016-09-10 10:25 | 日課抄・歳時記

私という字

気がつけば、すでに9月。2ヶ月もブログを更新していないと、いろいろな方面からどうしたのかと失跡をいただく。久しぶりにブログを更新しなくては。やはり関心のある漢字ついて書こう。

「私」という字は、穀物という意の「禾(のぎへん)」に、囲うという意の「口」(のちに「ム」となる)からなる。穀物を自分だけのものとして囲うというのが「私」の語源だ。

「ム」という字は「自分だけのものとして囲う」というのである。非常に興味深い。

そうすると、「公」は「八」という字に、「自分だけのものとして囲う」という「ム」からなる。自分だけのものとして囲っているものをどうするというのか。「八」の字の意は「開く」という意の字であるという。

自分だけのものとして囲っているもの、もしくは囲もうととしたものを「開く」のである。それが「公」の語源だ。



ちなみに「和」という字は、「禾」と「口」から成り、「私」の字のように穀物を自分だけのものとして囲うという字のように見える。しかし「和」の「禾」はのぎへんではなく、加わるという意で、部首としては「口(くちへん)」の字である。つまり「和」は人の声に応じ合わせるというのがその語源である。
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# by fumonken | 2016-09-10 10:21 | 日課抄・歳時記

恥と耻

日本語はいまでも「恥」を「耳」に「心」と書く。

中華人民共和国語(簡体字)では、「耳」に「止」と書いて「耻」。これが「恥」という字だそうである。
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# by fumonken | 2016-06-12 12:41 | 日課抄・歳時記

ハンス・フォン・ゼークトの言葉

ヴァイマル共和国の軍人に、ハンス・フォン・ゼークトという陸軍大将がいた。
彼が語ったとされるのが、軍人を有能、無能、働き者、怠け者の4つのタイプに分ける「ゼークトの組織論」と呼ばれる軍事ジョークがある。

「有能な怠け者」は有能であるが故に事の是非を決することができる。 そして、怠け者であるが故に他人を用いて任せることもできるので「前戦の司令官」として最適である。

「有能な働き者」は事を判断することはできるが、働き者であるが故に他に任せきることができない。 よって、上に立つよりも「作戦参謀」として輔佐する立場が適当である。

「無能な怠け者」は自分で判断できないし、自ら動こうともしない。 よって、命ぜられたことをそのまま遂行する「連絡将校」か「下級兵士」に適任である。

「無能な働き者」は自分で適切な判断もできないのに、勝手に動く。 これは、余計な事をして迷走するので「銃殺刑」に処した方がいい。


しかし僧堂(禅宗の修行道場)では、 「無能な働き者」こそ、一所懸命に修行に励むことと思う。
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# by fumonken | 2016-05-30 21:09 | 日課抄・歳時記

禅の修行

「自分は貧乏であったこと。自分は病弱であったこと。自分は学歴がなかったこと」

松下幸之助氏は「一代で世界企業にした成功の秘訣は」、との質問に対しての答えが上記である。氏は「貧乏」であったから一所懸命に働き、「病弱」であったから摂生に努め、「無学歴」であったから勉学に励んだということだ。


仏教では、
自分とは「存在」があり、その存在には「本質」があり、その存在と本質には「能力」があり、その存在と本質と能力には「働き」があるととらえる。

そしてその「存在」と「本質」と「能力」と「働き」によって、自分に起こりうるの「直接的原因」がつくられるというのである。

その「直接的原因」と自分のまわりをとりまく「間接的原因」によって、自分に起こる「結果」が生まれる。
そしてその「直接的原因」と「間接的原因」によって、まわりに起こる「影響」が生まれるというのである。

禅の修行は、自分という存在の「本質」と「能力」と「働き」を見極め、それを素直に受け止めることにあり、そしてそれを磨くことにある。

自分への結果やまわりへの影響は後でついてくる。
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# by fumonken | 2016-04-27 12:20 | 禅・仏教について

分担、階級、格差

分担とみるか、階級とみるか、格差とみるか。
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# by fumonken | 2016-04-17 19:37 | 日課抄・歳時記

「見える」規則

禅寺にはたくさんの規則(ルール)がある。これを規矩(きく)と言う。
例えば、朝は何時に起きないと行けない。ご飯の食べ方はこうだとか、掃除はこうしなくてはならないとか、坐禅をはじめる前に仏様に礼拝するなど。禅寺で生活する上で多くの規則がある。

これは何も禅寺に限ったことではない。我々が生きている以上、我々の行動様式は多くの規則によって営まれているのである。

この規則であるが、「則」という言葉は、おきて、さだめ、標準という言葉の意味である。
「規」という字は「夫」と「見」という文字からなる。「夫」とは道具や物差しの意味である。その道具や物差しが「見える」というのが、規則の「規」の字である。「見える」ということが非常に重要で、だから「規則」ということは、我々の行動様式のおきてやさだめ、標準様式が、「文章化」「明文化」して「見える」状態にたものなのである。


一方で、禅寺では「工夫しろ」ということをやかましく言われる。

「工夫」と「規則」、一見、相容れない概念であるとおもれるし、私もはじめはそう思っていた。

むしろこの「工夫」こそ、禅の修行の見せ場である。

次回はこの規則と工夫の話をする。
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# by fumonken | 2016-04-04 10:51 | 日課抄・歳時記

「脱○○」

全日空の国内線搭乗手続きのシステムに障害が出たということだ。ロビーでの混雑している様子が写真に出ている。コンピュータが世の中の重要なシステムの一つであると言うことを感じる。

こういうことが起きると、やれコンピュータ社会への危惧とか、次世代の何とかなどと、ことさらにかき立てる。

これは良い。これは必要、これは悪い、これはいらない。「脱○○」とか・・・。

禅はこういったとらえ方をしない。そのもの「存在」の善し悪しに関心をよせるのではなく、「存在」と「存在」とを結んでいる、そのときそのときの「関係性」に関心を向けなさいという。我々がその「存在」とどうつきあっていくのか、そういうことに関心を持つのである。問題は外にある「存在」ではなく、我々自信がその「存在」との「関係性」をどうとらえ、そのときどきでどうつきあっていくのかということである。
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# by fumonken | 2016-03-22 11:58 | 日課抄・歳時記

春季彼岸会法要

今日、春分の日は普門軒の春季彼岸会法要だった。正直、毎年、思うことなのだが、今年は何人お参りに来て下さるだろうかということだ。

しかし、毎回、たくさんの方がお参りに来て下さる。

これは畢竟、先住さんのおかげだなと思う。先住の和尚さまが、これまでの長い間、真摯につとめていただき、檀家の方々を大切になされ、信頼を気付きあげたおかげであると痛切に感じる。

本当にありがたいことである。
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# by fumonken | 2016-03-20 20:42 | 日課抄・歳時記

「差」と「區」

「差」という話をした。今日は差別と区別。

「差別」。「差の別ける」と書く。「差」という漢字は、「麦」という字と「左」という字が組み合わさってできている。「左」には低い位置や正しくないとか支えるという意味がある。つまり「差」という字は「不揃いの麦の実」という意味から来て、いわゆる何かと何かの「差」という意味になった。
「差別」には明らかに「違い」とか「違う」の意味合いが含まれている。

一方「区別」。「区」という字は旧字体で「區」と書くが、隠すという意味の「匸」という字の中に、いろいろなものという意味の「品」という字が入る。つまり「多くのものを隠す」という意から、「わかつ」とか「くぎる」という意味になった。もともと「違い」という意味合いはない。
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# by fumonken | 2016-02-10 17:36 | 日課抄・歳時記

私の師匠筋に当たる盛永宗興老師は「さとり」とは、「差」を取ることだとおっしゃった。

考えてみれば、ここ数年「格差」という言葉を、かくもこのように日常の言葉として聞くようになるとは誰が想像したであろうか。

自分を大切にすること。裏を返せば、他人と「差」をつけることだ。
自分の能力を高めること。裏を返せば、他人と「差」をつけることだ。

禅でいう「差」取りとは、自分を大切にするなと言っているわけではない。自分の能力を高めるなと言っているのではない。他人と「差」をつけてしまう心を改めたい。そのために自分を大切にするという方法もあれば、自分の能力を高めるという方法もあろう。
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# by fumonken | 2016-01-12 18:39 | 日課抄・歳時記

無限

西洋哲学では「なにも無い=NOTHING」という意味ですが、仏教哲学では「無限=INFINITY」と捉える。鈴木大拙の言葉である。
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# by fumonken | 2016-01-02 18:39 | 日課抄・歳時記

今の日本の暮らしでは

ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。
よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。

『方丈記』の冒頭であるが、とても今の日本の暮らしからは、正直、出てこない言葉だ。
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# by fumonken | 2016-01-01 19:41 | 日課抄・歳時記

また昭和はひとつ

先週の原節子さんの訃報に続き、今日、漫画家の水木しげるさんがお亡くなりになった。
その作品は改めて言うつもりはないが、私はやはり『マンガ昭和史』がもっとも印象に残っている。私自身も祖父の歴史を聞き語りでまとめたが、はやりご自分でご自分の歴史を書かれているだけに非常に説得力とリアリティのある内容に何度も読み返した。戦前と戦時中の普通の日本人の歴史がそこにはあった。

そんな本当の戦前、戦中を生きた人がまたひとり亡くなった。本当に言葉に言い尽くせない。

ご冥福を心よりお祈りいたします。
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# by fumonken | 2015-11-30 18:02 | 日課抄・歳時記

古き良き日本が又遠くになっていった

女優の原節子さんが9月5日に亡くなっていた。私は学生時代に小津映画を知ったが、原節子さんの存在は一際、存在感のある方だった。本当に日本の女性は品があって美しいなーと思った。

それ以上に、後生の生き様に驚いた。42歳で突然の引退。鎌倉市の自宅で全く姿を見せず、徹底した隠とん生活を送った。普通ならば、あれほどに地位や名声を手に入れた方なら、いろいろなことに声を上げたり、その存在感を見せたいものだ。しかし原さんはそういうことは一切なさらず、50年以上、その姿勢を崩さず、結局、そのままお亡くなりになった。
本物でないとできない。隠とんと一枚になっている。

言葉にはできない。ただ、昭和がまたひとつ遠くなった。本当に悲しいことで、無常観を感じる。

ご冥福を心より、お祈りします。
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# by fumonken | 2015-11-26 13:53 | 日課抄・歳時記

祝日と休日と…

今、学生が下宿しているが、私学の大学に通っている。今日11月23日は何の日か知らなかった。新嘗祭の祭日であると言うことは知らないまでも、勤労感謝の日という言葉くらいは出てきてほしかった。問題はそれだけけはない。驚きは、この祝日の日に大学は平常通り授業があると言うことだ。

仮にも私学助成金をいただいている身である私立大学にも関わらず、祝日を祝日という気もなく授業を行う。非常にゆゆしき事態である。
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# by fumonken | 2015-11-23 15:48

「守る」と言うことと、「とらわれる」ということ

なかなかにしてそれを見極めることは難しい。

「守る」と言うことと、「とらわれる」ということ。自分はそれを守るために行動しているのか、それともそれにとらわれているから行動しているのか。

その見極めは非常に難しい。
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# by fumonken | 2015-10-10 09:21 | 日課抄・歳時記

それを言っちゃー、おしめーよ

私は映画『男はつらいよ』が好きだ。寅さんの言葉にはよい台詞がたくさんある。

なかでも最も好きな台詞が

「それを言っちゃー、おしめーよ」

人生にはいろいろなことがある。山もあれば谷もある。いろんな人も居れば、いろんな立場に置かれることもある。しかし、どんなに自分にとって納得のいかないことがあって、やっぱり己の中でかみしめておかないといけないことがある。

それを言葉にすることによって、それを行動におこすことによって、もっと大きなものを失ってしまう。

そんなときは、己の心に対して

「それを言っちゃー、おしめーよ」

と、己の心に対して、叫び、静かに幕を引こう。
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# by fumonken | 2015-10-01 08:47 | 日課抄・歳時記

マンネリとマナー

マンネリという言葉がある。これは英語でmannerismのことである。mannerismという言葉は、我々がよく知る言葉manner、マナーにism(主義)をつけた言葉である。

ismという概念は非常にやっかいで、主義のことであるが、主義というと響きはいいが、時として偏ってしまい、またそれに本人が気づかないということも多い。マンネリがいい例である。

マナーも偏りすぎて、マナー主義に陥ると、マンネリになってしまう。

はやり何事も臨機応変にいきたい。
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# by fumonken | 2015-09-16 12:04 | 禅の暮らし

雑草という草はないんですよ。

お寺という所は因果なもので、草引きという作務がある。草引きをしていると、時折、浮かぶ言葉がある。それは昭和天皇のお言葉だ。

昭和天皇と侍従が皇居内を散策なさっておられる折、雑草が生い茂っていた。それ見て、侍従が随分手を尽くしたのですがこれだけ残ってしまいました。いずれきれいに致します」というような言葉を昭和天皇に述べると、陛下は、

「何を言っているんですか。雑草という草はないんですよ。どの草にも名前はあるんです」。

というお言葉だ。この言葉には続きがあって、調べてみると、こう続く。

「どの植物にも名前があって、それぞれ自分の好きな場所を選んで生を営んでいるんです。人間の一方的な考えで、これを切って掃除してはいけませんよ」とおっしゃったという。
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# by fumonken | 2015-09-05 09:41 | 日課抄・歳時記

関心について

「関心」の意味は、心にかける、心配する、気にとめる、注意するという意味である。

「関」という字は旧字体で「關」と書くが、門構えの中の字は「貫く」という意の字である。もともと門に閂(かんぬき)を横に通して、門を閉ざすという意味らしい。転じて関は調べるところという関所の意味になった。また調べるところという意から「関心」、「関知」、「関白」などいう言葉もでてきた。

その「関心」であるが、最近、「関心」というと「興味」という意味合いで用いることが多いと感じる。

これは英語の「interest」を、関心、興味として、いっしょの言葉として翻訳したからではないだろうか。ちなみに、それこそ興味深いことに、「interest」には他に「利益」「利害関係」「利子」という意も含む。

日本語の「関心」という言葉に、いつしか、自分にとって「利のある事柄に対して」心にかける・気にかけるという使い方にはなっていないであろうか。
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# by fumonken | 2015-07-31 20:39 | 日課抄・歳時記

「自づから」と「自ら」

「自」と言う字は、鼻の形を形取った字である。鼻を指して自分を示すところから、転じて自己の意味となった。

訓読みでは、「おのづから」と「みづから」と読む。

「己(おの)+づから」と「身(み)+づから」からきている。
「づから」とは「つ+から」で、「つ」とは「の」の意味である。例えば、目の毛で「まつげ」。沖の海底を「沖つ白玉」といったりするが、その「の」という意味である。
「から」はそのまま今の意味での「まま」である。

ゆえに「己づから」は「己のまま」であって、「身づから」は「身のまま」という意味になる。

己と身の違いが「自づから」と「自ら」の違いといえる。
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# by fumonken | 2015-07-01 14:41 | 禅・仏教について

反復とズレ

以前、小津安二郎監督の映画の本質、根源にある文脈を「反復とズレ」だと、吉田喜重監督はおっしゃっておられた。

「映画『父ありき』のある場面。川で父親と息子が並んで釣りをする。その反復動作。それの繰り返し。それがいつの間にかズレていく。それが父と子が他人になるというふうに私にはうつった」

こうおっしゃっておられる。

「反復とズレ」。なるほど小津映画は確かに「反復」の連続であり、その些細な「反復」の日常を描いている。その中に、独り立ちや結婚、また死といった「ズレ」が描かれる。

「反復」は永遠ではない。いつかは「ズレ」を迎える。生老病死。しかし「ズレ」も永遠ではない。

反復とズレ。どちらも受け入れなくてはならない。反復も無常であり、ズレもまた無常あろう。
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# by fumonken | 2015-05-19 10:34 | 日課抄・歳時記

携帯電話、スマートフォンの使用はできません!

お泊まりの方は、携帯電話、スマートフォンの使用はできません!

最近、お泊まりの部屋で、携帯電話、スマートフォンをお使いになる方を見かけました。何人かの人はそのまま、下山(お寺から帰る)していただきました。

くれぐれも携帯電話、スマートフォンは使わないでください。

お寺にいる数時間は、そういうものと一度離れてみてください。もちろん、日中外出されるときはいくらでもお使い下さい。

中には、この際、泊まっている期間は一切、使わないと決めてくる方もおられます。

よろしくお願いいたします。
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# by fumonken | 2015-05-16 09:31 | 宿坊について

「寺」という字

「寺」という字は非常に興味深い。
「土」と「寸」に分かれるが、「土」はもともと「止」という字で、【使う】という意味がある。「寸」は【手】という意味であることから【仕事をする】という意味になり、ひいては、【仕事をするところ・役所】という意味があったそうである。
時代がさらに下って後漢の時代から、仏教の事務・仕事を行う【てら】という意味になった。

さら「寺」を音符とする時をみると、すこぶるおもしろい。

仕事のできる人が「侍」であり、仕事の日が「時」である。
また、仕事を手すれば「持つ」ことになり、仕事とはコツコツと行うことは、「待つ」ことである。さらに仕事に心と書いて、「恃む」というように、仕事の肝心なことは、己を信じ、自らをあてにせよというのである。孫子に曰く「吾の以って待つ有ることを恃む」というところであろうか。

そして、仕事を通して互いに語り合えば、それが「詩」となるのである。

「寺」とはまさに仕事をするところ、畢竟、己を生かすところである。若い者よ、己を生かしに寺に来い。
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# by fumonken | 2015-05-05 09:39 | 日課抄・歳時記

気風、気っ風、気立て、気質

久しぶりのブログであるが、ちょっと気になったことを。
ちょっと気になったことの、「気」である。

知人とこんな話題になった。知人の知人がethicsmorals(倫理)を「気風」と訳したという。

気風とはどんな意味なのか問われ、なかなかうまく答えられなかった。

いろいろ調べてみると、気風とは「気立て、気質、性格」などとある。倫理とは違うようだ。知人に伝えてあげようと思う。
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# by fumonken | 2015-04-21 11:08 | 日課抄・歳時記

わかったようで、わからん

昭和の禅者である鈴木大拙博士はこうおっしゃっておられる。

「そうなんだ。わかったようでわからんようなんだ。
ところが、
わかったようで、わからんというところに、
何かわかったものがなければ、
そういうえんのだ。よごすか。
わかったようで、わからんという、ところに、何かわかっておるものがなければ、そういうえんのだ」
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# by fumonken | 2015-02-13 20:32 | 禅・仏教について

孫子

「敵を知り、己を知れば、百戦危うからず」。孫子の言葉であるが、その孫子は「知によって勝つが第一」「威によって勝つが第二」「武によって勝つが第三」とおっしゃっておられる。
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# by fumonken | 2015-02-11 19:42 | 日課抄・歳時記

国民の祝日について

昭和23年まで「国民の祝日」とは言わなかった。「祝祭日」と言った。祝日と祭日を合わせた呼び名で、「国民の祝日」同様に休日であった。

昭和28年の祖父の日記がある。最初のページに略暦がある。「国民祝日」には、
元旦1月1日
成人の日1月15日
春分の日3月21日
天皇誕生日4月29日
憲法記念日5月3日
こどもの日5月5日
秋分の日9月23日
文化の日11月3日
勤労感謝の日11月23日
と9日間の祝日が書かれている。62年たった今、6日間増えている。

明日は「建国記念の日」あるが、終戦後GHQによって廃止されたので、昭和28年にはない。昭和41年になってようやく復活した。しかし名称は当時の政治状況により、「紀元節」から「建国記念の日」に変更された。
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# by fumonken | 2015-02-10 19:18 | 日課抄・歳時記

「持っている」

英語で「have」と言えば、「持つ」である。「持つ」と言うことは、何かを所有するという意味である。

しかし、英語のhaveには「所有する」という意味だけではない。

たとえば、関係性を表す場合、
They have two children. 彼らには2人の子供がいる。

身体部分・身体特徴・特質・能力などを表す場合、
I have a sweet voice. 私は美しい声をしている。

感情を表す場合、
I have a grudge against him. 私は彼に恨みがある。

病気などにかかっている場合、
I have a cold. かぜをひいている。

「所有」と言うことは、自分ではないものを所有すると日本語では考える。たとえば、
She has a sweet voice. 彼女は美しい声をしている。声は私自身なのか。恨みという感情は私自身なのか、かぜは私自身なのか。それとも私とは違うものなのか。
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# by fumonken | 2015-02-03 21:07 | 日課抄・歳時記