普門軒の禅寺日記・京都の宿坊・お寺に泊まる

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戦前

先日、祖母が亡くなった。101歳の長寿であった。
大正5年生まれで、大東亜戦争の開戦の年、25歳である。
13年前になくなった祖父は明治42年生まれであったので開戦の年は32歳であった。

生前、祖父、祖母ともにいろいろな話を聞いた。もちろん戦前の話を聞いた。25歳、32歳と言えばすでに大人である。


私の中の生きた戦前がその日なくなった。


思えば、戦前と戦後でいろいろな事柄が変わってしまった。もちろん人間は変わらない。苦しみ、悩み、恋をして・・・。


しかし、家族が変わり、風景が変わり、国柄が変わってしまった。確かに変わってしまった。


私の中の生きた戦前がもうなくなってしまった。

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by fumonken | 2018-02-23 17:04 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

漢字の「命」の音読みは「メイ」であるが、ひざまづいている人に言いつける「令」に「口」をつけることで、言いつける意味をより明らかにしたという意味らしい。そこから派生して大いなる天の命ずるところつまり運命、人の寿命という意味に派生した。

日本語(訓読み)では「命」は「いのち」と読む。
「いのち」は「生き」「息」を意味するらしい。「ち」は「内(うち)」を意味するらしい。つまり「生きの内」「息の内」。生きている間、息をしている期間といいううことだ。

日本の場合は「いのち」を「生きる」「息」と直接結びつけている。

我々は大きな目に見えないものによって生かされているのであろう。それをGODと呼んだり、天と呼んだりすることもある。しかし所詮は「息」をしていることが「生き」ていることであるのだろう。命とは息をする力のことであろう。

私たちは食事を食べ、働き、充実感も得たり、冬になれば体を暖め、夏になれば冷やし、危険が起きれば身をかばう。これもすべて息をするための力を保つためなのだろうか。

息が止まったとき、命はつきる。

命とは息をすること。

「息」は「生きる」と「命」が同じ音であり、「息」は「自ずから」の「心」と書く。

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by fumonken | 2018-02-12 20:41 | "不"不立文字 | Comments(0)