普門軒の禅寺日記・京都の宿坊・お寺に泊まる

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故郷

もうすぐ46歳になる。ここ数年、妙に故郷のことを考える。故郷を思う年齢なったのか。

私の故郷は愛知県の豊田市と言うところだ。トヨタ自動車の企業城下町だが、私の育った地域は、豊田市の中心街でもなければ、郊外の住宅街でも、街道の商店街でもない。故郷の遠方には北に猿投山、東に六所山、炮烙山の山々を望むことができる。近くには野見山、秋葉山があり、また矢作川が流れ、その恵みによって田畑が開かれた地域である。建武元年(1334)創建のお寺があり、建武5年(1338)創建の神社があり、鎮守の森には今も変わらず大木が茂る。

南北朝時代から続く私の故郷。この長い時間の間、人が生まれ、暮らし、子を産んで、そして死に、またその子供が、暮らし、子を産み、そして死んでいったのだ。そんな人々の営みの連続が650年以上も続いている土地である。戦国時代には織田信長の軍勢にお寺は焼かれたが、村の人々は再建した。また江戸中期に治水工事が行われ、当時の元号をとって安永川とつけられた。小学校も古く、明治5年(1872)の学制発布の年にできたので、今年で146年目に入る。曾祖父も祖父も母も私も同じ小学校に通った。

私が子供の頃、集落の家々は瓦屋根の平屋の木造家屋が大半だった。友達の家に行くと古い木造家屋の独特の匂いがしたのを覚えている。そんな木造家屋も今は建て替えられ、新築のプレハブ住宅が帰郷するたびに多くなっている。でも表札は私の覚えている名字がそのままかけられていて、空き地になったり、コインパークになっていることはない。集落の中を走る道は、古地図のままで、今でも人々の暮らしを支えている。

室生犀星の詩に『ふるさとは 遠きにありて思ふもの』とあるが、本当にそうだと感じる。

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by fumonken | 2018-04-05 09:56 | "不"不立文字 | Comments(0)