普門軒の禅寺日記・京都の宿坊・お寺に泊まる

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新しい

「新しきことを聞く」とでも言おうか。明治の人はNEWSを「新聞」と訳した。新しいことを聞く。現代はインターネットの発達によって、明治のその頃とは比べものにならないほど、「新しい」ものが伝わるのも早ければ、その「新しい」ものの量も半端ではない。言い換えれば、現代は「新しい」もので埋め尽くされている。


家電製品でも、服でも同じ値段なら多くの人は「新しい」方を選ぶ。同じ家賃なら築年数の「新しい」方を選ぶ。普門軒は築100年近い建物だ。だから火災保険の会社からすると建物の評価額は0円である。それはいう「新しさ」による基準から来る。

現代は「新しい」ことを礼賛し、「新しい」方のが”よい”という価値をつけてしまったためだろうか。その結果、現代のものごと多くは、長きにわたり伝えたいとか、続けたいとか、残したいなどという思いよりも、「新しさ」が結局上回る。

古代漢人は「新」という字を用いた。これが実に面白い。「立っている木を斤(おの)で切り倒す」これをもって「新しさ」と見た。現代人は切り倒すことにとりつかれ、切り倒し続けていくことが目的になってしまっているのか。


禅にとって「新しい」とはどういうことか。 それは「苟に日(ひび)に新たに、日々に新たにして、又た日(ひび)に新たなり」という言葉にあるとおり、外のものごとに「新しさ」を求めるのではなく、己の心に「新しさ」を持ちなさいという。 一新、一所、一瞬。その場、その場、その時、その時で打ち込む「新しい」心を持て。さっきまでの気持ちを持ち込まず、腹を立ててもすぐに笑って済ませる。その潔さこそが「新しさ」の姿であるという。

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by fumonken | 2018-01-22 11:28 | "不"不立文字 | Comments(0)