普門軒の禅寺日記・京都の宿坊・お寺に泊まる

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世界の国会議事堂…グレートブリテン及び北アイルランド連合王国

英国議会が議事堂として利用している建物がウエストミンスター宮殿です。ヨーロッパでは王宮を議事堂として利用している国が多いようで、英国もその一つです。そのため英国では国会議事堂と言わずに、今でもウエストミンスター宮殿と呼んでいるそうです。以前の宮殿(議事堂)は1834年火災によって焼失したので、1840年に礎石が据えられ、建物の主要部分は1860年に完成しました。日本で言う幕末期のことです。その後、ウェストミンスター宮殿は1941年にドイツ軍の爆撃によって庶民院(衆議院)が破壊された。1950年に再建されました
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# by fumonken | 2013-09-22 12:34 | Comments(0)

世界の国会議事堂…フランス共和国

フランスの国会議事堂の変わっていることは、上院(元老院)はリュクサンブール宮殿、下院(国民議会)はブルボン宮殿とそれぞれ建物が異っていることです。議会政治が始まったころは、階級が非常に強く庶民は庶民、貴族は貴族で集合する建物まではっきりと別れていたその名残といえます。他のヨーロッパ諸国と同様にやはり宮殿を使用しています。この場合の宮殿とは日本語で言う離宮のようなものです。上の写真の上院のリュクサンブール宮殿は1615年、王様の母親のために建てられ、1799年から議事堂として使われているそうです。下院のブルボン宮殿は1722年、王様の娘のために建てられ、1794年から議事堂として使われているそうです。
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# by fumonken | 2013-09-21 07:18 | Comments(0)

世界の国会議事堂…日本国

日本の国会議事堂は1936年に帝国議会議事堂として建設されました。第1回帝国議会が1890年に開かれますが、そのときは第一次仮議事堂で開かれたと言うことです。しかし翌年に漏電により全焼してしまったので、その年に第二次仮議事堂が建設され、第2回帝国議会がそこで開かれます。なぜ仮議事堂かというと、当時は各省官庁の建設も重なり、本格的な議事堂を建てる多額の経費がなかったからだと言うことです。その間も日清戦争、日露戦争などもあり、新議事堂の建設になかなか手が付けられませんでしたが、1920年にようやく新議事堂の建設が始まりました。そこに来て関東大震災。震災では建設中の新議事堂と第二次仮議事堂は直接、被害は受けませんでしたが、第二次仮議事堂が改修工事中に焼失してしまいます。そのため第三次仮議事堂の建設が必要になり、さらに新議事堂の完成は延長されました。そして工事着工から17年、1936年に帝国議会議事堂は完成するのです。ちなみに1964年にホテルニューオータニができるまで日本一高い建物だったそうです。
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# by fumonken | 2013-09-20 16:53 | Comments(0)

床座と椅子座

床座。今ではこの字を読めない人も多くなってきたのではないでしょうか。「ゆかざ」と読みます。床座というのは、椅子やテーブル、ベッドを使わず(もしくはしまう事を前提として)、直接に床の上を生活面とする生活スタイルのことです。床座は靴を脱いで暮らす日本文化の象徴的な様式です。

床座の特徴は天井が低い。それは家具を置きっぱなしにしないからです。家具を置きっぱなしにしないから、空間が広く、掃除もしやすく、非常に清潔です。何よりもものが少なくて済む。シンプルライフの極みです。

私の大好きな映画監督、小津安二郎の作品の多くはローアングルといって、低い視点から撮影するカメラの撮影技法を取り入れています。それは多分に日本の生活が床座であったことが関係していると思います。

一方、椅子座というのは椅子やテーブルを置いたままにして、その置いたままの家具を生活面とする生活スタイルのことです。椅子座と家具の多さ・種類は実に比例しています。

寝食分離(寝る部屋と食事をする部屋を分ける思想)、1950年代に西洋から入ってきて以来60年、今では日本の一般家庭はすっかり椅子座の生活スタイルが主流になり、結果的に床座の文化は壊滅的になりました。

ちなみに椅子座の文化にとっては、同じ座るための家具である、椅子とソファーは全く違うものだそうです。あなたの生活スタイルは床座ですか。椅子座ですか。
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# by fumonken | 2013-09-13 15:48 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

穢れと清浄

仏教でいう心の執着は神道でいう「穢れ」であり、執着の無い心は神道でいう「清浄」と言えます。神仏は本当に同じだと思います。
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# by fumonken | 2013-09-11 05:19 | 禅・仏教について | Comments(0)

祝! 東京オリンピック

東京オリンピックに決まりました。よかったですね。2020年ですか。みんなで盛り上げていきたいですね。
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# by fumonken | 2013-09-09 10:03 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

連合国

日本は毎年、連合国へ通常予算負担金というを負担しております。世界に190カ国ちかくありますが、その中では2番目に多くのお金を負担しています。2013年で約10.8%、276百万ドルだそうです。

その連合国のトップ、連合国事務総長が、先日、「日本の政治指導者らは、深くみずからを省みる必要がある」との発言をされました。確かに連合国事務方のトップですから、中立を求めても仕方がないかもしれません。

日本は連合国憲章において「本項で用いる敵国という語は、第二次世界大戦中にこの憲章のいずれかの署名国の敵国であった国に適用される」という項目から、いまだに敵国とされています。

ちなみに「連合国」とは英語で言うと「United Nations」。日本語で言うと、そう「国際連合」のことです。中国語ではもちろんそのまま「連合国」と訳しております。
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# by fumonken | 2013-08-27 16:26 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

百姓

「百姓」という字を読めない日本人はいないと思います。「ひゃくしょう」ですね。でも知っていましたか。古来の大和言葉ではおおみたから」と読みます。

「おおみたから」とは天皇陛下が慈しむべき天下の大いなる宝である日本に住む人々のことです。よく古今東西、洋の東西を問わずといいますが、為政者としてこのような政治哲学を持っているのは、おそらく日本の天皇陛下という存在だけでしょう。
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# by fumonken | 2013-08-19 23:45 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

終戦記念日

今日は六十八回目の終戦記念日です。六十八年前、この暑い夏に三年半続いた大東亜戦争が終結しました。以前私は祖父に聞いたことがあります。終戦の日、おじいちゃんは何をしていたの?

祖父は朝から防空壕を掘っていたそうです。すると近所の方が、もうそんなもん掘らなんでいいよ。もう戦争は終わるよっと言われたそうです。それで戦争が終わると言うことがわかったそうです。大東亜戦争自体、これは負けるなと思ったのは沖縄が陥落した六月頃だそうです。私の祖父は明治四十二年生まれ、終戦の年、三十六歳でした。
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# by fumonken | 2013-08-15 10:38 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

活発

禅の言葉(禅語)に 「活潑潑地(かっぱっぱっち)」という言葉があります。これは、私たちが日頃使う「活発」のもとになった言葉です。活潑とは、「心が自在に動くこと」です。これだというものにとらわれることなく、心が川の流れのようにとどまることろを知らず、常に動いるることです。ただし、ただとどまらず、動いているのではなく、いろいろな状況に「対応できる」「順応できる」心の状態のことです。

あの子は活発な子だねとは、元気が良い子という意味に使うのではなく、何にでも一所懸命になれる子という意味合いで使った方がいいでしょうね。
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# by fumonken | 2013-08-14 11:03 | 禅・仏教について | Comments(0)

應無所住而生其心

応(まさ)に住(じゅう)する所(ところ)無(な)くして而(しか)も其(そ)の心(こころ)を生(しょう)ずべし。
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# by fumonken | 2013-08-11 17:31 | 禅の暮らし | Comments(0)

あえてこの話題をあげます

全日本仏教会の小林正道理事長は5日、世耕弘成官房副長官と官邸で会い、安倍晋三首相や閣僚に対し、靖国神社参拝を控えるよう求める要請文を手渡した。

という記事を読みました。

おそらくこの話題をここであげるといろいろ思われる方もいると思いますが、あえて私は一僧侶としてこの話題をあげます。ながながと述べません。ただただ私は愕然としました。

すべての寺院がこのような姿勢であると受け取られかねないので、非常に危惧します。ちなみに臨済宗において全日本仏教会に加盟している寺院は臨済宗妙心寺派、南禅寺派、円覚寺派、建長寺派、天龍寺派、相国寺派
そして東福寺派の寺院だそうです。

あえて話題にさせてもらいました。
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# by fumonken | 2013-08-08 10:18 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

立て続けに

フランス、スペイン、そして今日、スイスで鉄道事故がありました。非常に悲しいことです。しかしながら特にスペインの事故はどうやら人為的事故のようで、何ともいたたまれません。

ちなみに我が国が世界に誇る新幹線は、1964年の開業から、死亡事故はわずか1件。しかも駆け込み乗車による事故のみです。あの東日本大震災のときも、新幹線は脱線すらしませんでした。衝突や脱線といった車内の乗員乗客が死亡した事故は50年近くたっていますが、いまだ0という誇るべき鉄道です。

これは単に技術的なことだけではなく、安全に対する思いの違いも大きいと思います。またこれまでの在来線での事故の教訓をいかしているからこそのことと思います。本当に誇るべきものです。
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# by fumonken | 2013-07-30 10:26 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

王子様がお生まれになったそうです

英王室のキャサリン妃殿下が王子様をご出産されたそうです。おめでとうございます。
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# by fumonken | 2013-07-23 08:13 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

男の子? 女の子?

英国ではロイヤルベイビーの話題で持ちきりのようです。皇室をいただく、日本人としてもうれしい話題です。実は私が気になったのは、英国王室が赤ちゃんが男の子か、女の子かわかっていないことです。エリザベス女王陛下でさえ、ご存じないと言うことです。当たり前すぎますか?

でも、今、妊娠されると多くの人たちは、赤ちゃんが男の子か、女の子かを事前に承知しているようですね。私はそのことに対して、日頃、非常に抵抗を感じています。

ここに英国のロイヤルファミリーも事前に赤ちゃんの性別を確認しないということは、敬意を表したいと思っておる次第です。できれば、これを機に、また事前に性別を確認しない風潮が広がってくれるとうれしい限りです。

命とはなんでしょうか。
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# by fumonken | 2013-07-22 05:56 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

大切にしたい言葉です

「しみる」という言葉。どんな漢字を連想しますか。
「インクが紙の裏まで染みる」、「靴の中まで水が浸みる」、「凍みるような寒さ」と書くことができます。

これはどうですか。「心まで沁みるような歌声」。
「沁みる」とてもきれいな言葉です。
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# by fumonken | 2013-07-15 20:34 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

正統性と正当性

今、エジプトがまた混乱しております。2年前の「アラブの春」。今の大統領は選挙で選ばれたと言います。しかしながら今、エジプトは大きな混乱の中にあります。大統領は2日、国民に以下のように仰ったそうです。

「脅しや暴力で憲法に干渉する権限は誰にもない。神はお許しにならない。憲法の正統性を変えたり新たな制度を作る権利は誰にもない」


私はこの「正統性」という言葉が気になりました。「憲法の正当性」なら、憲法が言う正しいことなのですが、「憲法の正統性」とは、憲法が正しいこととは何かと言える根拠と言えます。

語源的にみると、正当性(legality)と正統性(legitimacy)はもとは同じ「法」という言葉から派生したそうです。特にlegitimacyは「嫡出」という家族法的意味をもちました。そのことを「正しいと言える根拠=正統性」としました。ですから非嫡出子が合法的に王位に就いたとしても、その正統性(legitimacy)は問題になるわけです。

今多くの国の体制は君主制ではなく、民主制になっております。民主制にとっての「正統性」とは何なのでしょうか。民主制にとっての「何が正しいと言える根拠」何なのでしょうか。

君主制にせよ、民主制にせよ、「正統性」と「正当性」が合致しているときは安定するのですが、それらが対立または乖離したとき、国は乱れます。

ちなみに私たちの国「日本」は、世界一長い2600年に渡る「正統性」をもった君主がいらっしゃいます。長い歴史を見ても、その日本人の中の「正統性」と「正当性」は比較的バランスよく安定していたのだと思います。その結果が世界で一番長い、現存する最古の「国」であると言うことです。

またエジプトの人々の中の「正統性」と「正当性」も早く安定してほしいものです。
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# by fumonken | 2013-07-03 14:00 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

禅の極意、不二

富士山が世界文化遺産に登録されました。
富士山はその名の通り不二の山です。

この場合の不二とは「二つと無い」という意味になりますが、禅で言うところの「不二」とは、「一体」「一つの如し」と言う意味になります。

好き嫌い、熱い寒い、良い悪い…。私たちは知らず知らずのうちに、分別、選択、比較で物事をとらえてしまいます。これは二元論といいますが、禅は二元対立にとらわれてはいけないといいます。

「世界は一つ」と「世界と一つ」。同じようで違いますね。
「世界は一つ」とよく口にしますが、世界は一つであると客観的に見ています。
しかし「世界と一つ」というと、自分も世界に含まれていると見てます。

まさに自分は「自」然の「分」身ですね。
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# by fumonken | 2013-06-23 21:53 | 禅・仏教について | Comments(0)

素晴らしい言葉に出会いました

先般、10日間ほど、法話の研修会に行って参りました。そのことはこのブログにも先日書きました。

その10日間で得たもの、一生忘れないものを得ました。言うなれば、この言葉のために10日間、過ごしたと思っても、いいくらいです。事実、私はそう思っています。

それはその研修会で講師をしてくださった和尚様のお言葉です。

『自分』とは、『自』然の『分』身

なんだということです。私は感動に感動し、20代からの疑問がぱーっと開けた感じがしました。本当に素晴らしい言葉に出会いました。

本当にありがとうございます。
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# by fumonken | 2013-06-15 21:32 | 日課抄・歳時記 | Comments(1)

行って参りました

6月4日から12日まで、法話の研修会に行って参りました。30人くらい集まっていたでしょうか。みなさん、一所懸命勉強しております。素晴らしい仲間とお会いしました。
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# by fumonken | 2013-06-12 22:01 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

気にしない、気にしない

私が小さい頃、テレビのアニメで「一休さん」がやっておりました。
その「一休さん」でCMに入るときに、

「気にしない、気にしない。一休み。、一休み」

と一休さんが言うのですが、あの言葉のすばらしさを、最近、痛感しております。
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# by fumonken | 2013-06-02 21:26 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

『中庸』より

孔子さんのお孫さんに当たる子思という方が書かれた大切な著書『中庸』にこんな一節があります。

「天の命(めい)、之れを性と謂う、性に率(したが)う、之れを道と謂う」

「天の命」とは、天、神から与えられた生まれたままの心ことです。
「之れを性と謂う」とは、純粋な人間性のことです。
「性に率う、之れを道と謂う」とは、その純粋な人間性が分かって、生きていく。これが道徳ということだという意味です。

また仏教では、
「天の命(めい)、之れを性と謂う」とは「一切衆生悉皆成仏」ということです。
「性に率う」とは「信じる」ということです。
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# by fumonken | 2013-05-20 13:26 | 禅・仏教について | Comments(0)

無事是貴人

この語は臨済宗を開かれた臨済義玄禅師のお言葉です。
私たちは、日本語の中でもよく「無事」という言葉を使います。
どうぞご無事で、無事でお過ごしですか、無事に済みましたなど・・・。

しかし、禅語としての「無事」にはもう少し深い意味があります。
臨済禅師が説くところの「無事」とは、外に向かって求める心(馳求心:ちぐしん)をすっかり捨て切ってしまったさわやかな境涯の意味です。
求める心を捨てろといっても、無気力無関心でいろ、言われたままに生きろということではありません。また損得勘定で生きるなということとも違います。

「無事」とはいわば、求めなくてもよいことに気づいたとらわれのないの境地のことなのです。

"悟り" "ほとけ" "救い" "しあわせ" とはいったい何なのか。それらは求めて得られるどころか、求めれば求めるほど遠くへ 逃げていってしまう。臨済禅師はそれらを自分の外に追い求める愚かしさを私たちに戒められておるのです。
求める心を捨てて、ああしたいこうなりたいといった欲の心を捨てて、限りなく純真無垢な自分と出会った時、無限にして偉大なるものに生かされている自分に気づくことができる。求めずとも既にそれに抱かれ、生き生きと輝いている自分を発見し、確信する。
「無事是貴人」とは、そういったとらわれのない安らぎの境地を心の底から実感した人、老若男女・長幼尊卑の別を超えているひとこそ、本当に貴い尊ぶべき人であるということなのです。
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# by fumonken | 2013-05-10 11:17 | 禅・仏教について | Comments(0)

一日作さざれば一日食らわず

唐の時代に百丈懐海という禅のお坊さんがいらっしゃいました。「一日作さざれば一日食らわず」とは百丈懐海の教えです。出家者にとって仕事は一番重要な修業であり、仕事をしないなら食べることは出来ない。という教えです。同時に労働することを通して豊かな人間性も育まれていく、という自らを律した教えです。

百丈懐海が高齢にもかかわらず、日々の畑仕事、庭掃除等を率先して働いておりました。弟子たちが、見かねて農具を隠して休息を願いた。百丈懐海は農具を探しましたが見つからず、その日の食事をとりませんでした。
弟子たちは師匠に、「なぜ食事を召し上がっていただけないのですか?」と尋ねました。すると百丈懐海が「一日作さざれば一日食らわず」と答えました。以後、弟子たちは師匠の仕事を止めることがなかったという。

インドの仏教では、出家者が自らの働くことを戒律で堅く禁じられていました。そのため出家者は托鉢乞食(こつじき)や信者からの布施だけに頼っていたのです。しかし唐代中期以後、政府による僧侶淘汰命令が発され、貴族からの布施が途絶えられ寺院経営成り立たなくなりました。出家者たちは、やむを得ず生活の手段として耕作労働をするようになり、戒律という面の混乱が続いたのです。その時に、百丈懐海はそれまでのインド仏教の戒律の改革を行った。仕事こそは"仏のはからい″であり"仏のすがた″であり、仕事は一番重要な修業であることとして解釈を改め、特徴的な戒律改革を唱えました。
特に禅宗で作務(労働)を重んずるのは、このためです。
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# by fumonken | 2013-05-02 16:49 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

電話でのお問い合わせは常識的に

宿坊への電話でのお問い合わせは、朝8時から夜8時までにお願いします。

時々、朝の6時とか、夜9時以降に電話をされる方がおりますが、非常に困ります。お寺の場合、非常時の連絡がかかるときもあります。電話でのお問い合わせはくれぐれも上記の時間帯でご連絡下さい。

予約はブログに書かれているように3日以上前に連絡下さい。時々「今日は、泊まることができますか」という方もおられます。よくよく私のブログの方を呼んでからお問い合わせ をお願いします。

これは受け入れる私にとっても、お越しになるみなさんにとってもお互いのためです。ここはお寺です。ホテルでもゲストハウスでもありません。これまでにも何名かの方は、単にお寺に泊まってゆっくりするという間隔でお越しになったり、お問い合わせの方もおられました。それらの方々は、結局、お帰りになったり、断る結果となっております。くれぐれもよろしくお願いいたします。
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# by fumonken | 2013-04-29 07:24 | 宿坊について | Comments(0)

吉田松陰先生の言葉

余(よ)曰く、「学は、人たる所以(ゆえんを学ぶなり。
(中略)
抑々(そもそも)主人の最も重(おも)しとする所のものは、君臣の義なり。国の最も大なりとする所のものは、華夷(かい)の弁(べん)なり(中略)」と。


君臣の義…君主とその臣下の間柄にある義の徳。「父子の親」、「君臣の義」、「夫婦の別」、「長幼の序」、「朋友の信」五倫五常のひとつ。

華夷の弁…主体性をもつこと。吉田松陰の思想体系の中心的柱のひとつ。


本当に大切な言葉です。
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# by fumonken | 2013-04-11 11:21 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

禅宗のお坊さんになるには

禅宗のお坊さんになる場合、平たく言うと次のような道筋を踏むことになります。
1、寺の小僧になって、寺のことを学ぶ。
2、修行道場の修行僧になって修行する。
3、めでたく住職になる。

私たち、お寺の出身でないものにとって、第一関門は寺の小僧さんになることです。どうやって小僧さんになるのか?
1、知り合いの寺の住職に相談する。
2、坐禅会に通って、折を見てその住職に相談する。

私の場合は坐禅会に通ってたまたまそのお寺の住職が小僧として受け入れてくれました。でも正直言いますとなかなか小僧を受け入れてくれるお寺はありません。私はとても恵まれていました。
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# by fumonken | 2013-04-10 17:45 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

坊さんの名前

私は、入門して間もない頃、師匠にはこれまで通り「杉本さん」と呼ばれていましたが、三日目の朝、突然、名前が付きました。”銅”という名前です。ハ〜?というのが、最初の印象です。でも仕方がありません。私は銅になりました。
「銅っさん」と呼ばれました。これまで三十年間慣れ親しんできた名前がなくなりました。これはこれで寂しいというか、時間がたつにつれて何か変な妙な気分になるものです。でも一週間たってくると「銅っさん」になっている自分がいるんです。名前を捨てさせる事も出家の第一歩なのかもしれません。

その後、得度式(お坊さんになる儀式)によって、私の名前は更に変わっていくのです。
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# by fumonken | 2013-04-08 15:19 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

心を亡くすとは。

禅で言う「無」とは、心を亡くすという面もあります。

心を亡くすというと、「忘」という字は心を亡くすと書きますね。いやちょっと待てよ。「忙」という字も心を亡くすと書きます。

「忘」の「心」は部首でいうと「したごころ」。「したごころ」は心の上に何かをのせる。心が自の意志でこうなったという意味の字に使われるそうです。忠、志、忌、念、思などの字があります。

「忙」の「心」は部首でいうと「りっしんべん」。「りっしんべん」は心が何かに寄り添う。心が他の影響でこうなったという字に使われるそうです。怖、快、恨、悦などの字があります。

「忘」は自分で自分の心を亡くしたので「わすれる」。
「忙」は他のものに心を奪われたので「わすれさせられる」。

漢字とは本当におもしろいものです。
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# by fumonken | 2013-03-17 22:02 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

今年も味噌造り

今年もご縁のあるお寺さんを会場に、味噌造りをいたしました。今年で三回目の味噌造りです。今年の味噌造りの会には三十人ほどの方が集まって、いろいろお話をしながらみんなでつくりました。一人では単なる作業も、みんなですると楽しいものになります。
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# by fumonken | 2013-03-14 13:35 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)