普門軒の禅寺日記・京都の宿坊・お寺に泊まる

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禅の修行

「自分は貧乏であったこと。自分は病弱であったこと。自分は学歴がなかったこと」

松下幸之助氏は「一代で世界企業にした成功の秘訣は」、との質問に対しての答えが上記である。氏は「貧乏」であったから一所懸命に働き、「病弱」であったから摂生に努め、「無学歴」であったから勉学に励んだということだ。


仏教では、
自分とは「存在」があり、その存在には「本質」があり、その存在と本質には「能力」があり、その存在と本質と能力には「働き」があるととらえる。

そしてその「存在」と「本質」と「能力」と「働き」によって、自分に起こりうるの「直接的原因」がつくられるというのである。

その「直接的原因」と自分のまわりをとりまく「間接的原因」によって、自分に起こる「結果」が生まれる。
そしてその「直接的原因」と「間接的原因」によって、まわりに起こる「影響」が生まれるというのである。

禅の修行は、自分という存在の「本質」と「能力」と「働き」を見極め、それを素直に受け止めることにあり、そしてそれを磨くことにある。

自分への結果やまわりへの影響は後でついてくる。
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by fumonken | 2016-04-27 12:20 | 禅・仏教について | Comments(0)

分担、階級、格差

分担とみるか、階級とみるか、格差とみるか。
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by fumonken | 2016-04-17 19:37 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

「見える」規則

禅寺にはたくさんの規則(ルール)がある。これを規矩(きく)と言う。
例えば、朝は何時に起きないと行けない。ご飯の食べ方はこうだとか、掃除はこうしなくてはならないとか、坐禅をはじめる前に仏様に礼拝するなど。禅寺で生活する上で多くの規則がある。

これは何も禅寺に限ったことではない。我々が生きている以上、我々の行動様式は多くの規則によって営まれているのである。

この規則であるが、「則」という言葉は、おきて、さだめ、標準という言葉の意味である。
「規」という字は「夫」と「見」という文字からなる。「夫」とは道具や物差しの意味である。その道具や物差しが「見える」というのが、規則の「規」の字である。「見える」ということが非常に重要で、だから「規則」ということは、我々の行動様式のおきてやさだめ、標準様式が、「文章化」「明文化」して「見える」状態にたものなのである。


一方で、禅寺では「工夫しろ」ということをやかましく言われる。

「工夫」と「規則」、一見、相容れない概念であるとおもれるし、私もはじめはそう思っていた。

むしろこの「工夫」こそ、禅の修行の見せ場である。

次回はこの規則と工夫の話をする。
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by fumonken | 2016-04-04 10:51 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)