普門軒の禅寺日記・京都の宿坊・お寺に泊まる

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なぜ靴下のなのか

私は靴下を履かないが、なぜ靴の中なのに「靴下」と翻訳したのか。調べてみると、衣服に関しては単に垂直方向の上下だけではなく、むしろ体の中心に向かって近い方が下で、遠い方が上となるようだ。下着と上着でわかるとおりである。下には、内側という意味もあるらしい。だから靴下でも言葉として間違いではないということだ。
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by fumonken | 2014-07-30 10:25 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

来たときよりも美しく

「来たときよりも美しく」と小学校の遠足の時に、先生から言われたことを今でも覚えている。

ワールドカップの試合後、日本人のサポーターがゴミ拾いをしている姿が、地元ブラジルのメディアで報じられ、話題になったという。そしてブラジル・リオデジャネイロの州政府は、「すばらしい行為だ」と表彰することを決定したそうだ。

これは行為というのか、活動というのか、習慣、習性か。

やはり教育というのは大切で、また何を教えてるのかということは更に大切である。
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by fumonken | 2014-07-12 20:56 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

坐禅について

禅の暮らし、日本の暮らしをしたければ、何よりも庭を持たなくてはならい。大きくなくても構わないが、せめて六畳分くらいの大きさはほしい。地面のうえ、下草が生え、木が植わっていて、小石があり、石が据えられている。ライトアップなんか必要ない。静かであれば尚いい。

その庭の木はひたすら植わったまま。石はひたすら据えられたまま。あれやこれや為そうとしない。そんなに和の前で己は坐禅をする。目の前の庭の木や石と同じように、己はただひたすらに坐ったまま。あれやこれや為そうとしない。己の中の自然がもどってくる。

そのためにも、何よりも庭を持たなくてはならない。
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by fumonken | 2014-07-11 06:16 | 禅・仏教について | Comments(0)

思想と思考

思想と思考という言葉があるが、どう違うのか。

「思想」は人生・社会・政治などに対する一定の考え。
「思考」は直観・経験・知識などをもとに,あれこれと思いめぐらすこと。

こう辞書では書いてある。思想は明治の言葉で、つまり西洋の言葉を訳した和製漢語である。思考もそうだと思われる。もともと思考にあたる日本語は「思惟」で、思いはからうこと。考えること。分別することである。もともと仏教の言葉である。

「思惟」は空の思想が発展すると「一切の思惟分別を断ずる、これを正思惟となづく」などといい、禅においては真実は無智、無分別、無思惟のところで得られるというのである。

「人間は考える葦」と言う言葉があるが、全く違う「思想」をもっている。
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by fumonken | 2014-07-07 19:43 | 禅・仏教について | Comments(2)