普門軒の禅寺日記・京都の宿坊・お寺に泊まる

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虫たちが鳴き始めました

暖かくなりました。今夜は虫の音が聞こえました。すっかり春です。
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by fumonken | 2014-04-30 21:10 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

昭和の日

今日は昭和の日です。日本の歴史は他の国々と比べると非常に長いので、それぞれの時代に、いろいろな大きな変革があり、これまで2000年近く一つの国として続いてきました。その中でも昭和は日本の歴史にとって大切な時代の一つです。

今年、昭和2年生まれの方が満87歳になります。昭和も遠くなりにけりですね。
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by fumonken | 2014-04-29 21:41 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

「自然」とは

明治時代、西洋の言葉をたくさん訳しました。その作業たるや、日本の近代化に非常に役立ったことは言うまでも有りません。しかし同時に、大きな間違いをしてしまった訳語がいくつかあります。その一つがnatureです。

英和辞典を引いてみて下さい。私たちは今、natureを「自然」と訳します。言い換えるとnatureの意味として「自然」という漢字を当てています。

仏教学者の鈴木大拙はこのnatureに対して「自然」という字を採用したことを、
「これがわれらをして、東洋的思想の中で最も大切で根本的なものを忘れ去らしめた事由となったのである」
と言っておられます。

東洋的思想の中で最も大切で根本的なものが「自然」という概念であると言っておるのです。

では「自然」とはどういう意味なのか。

「この「自然」とは「自ら然る」の義で、仏教者のいう「自然法爾(じねんほうに)」である。他から何らの拘束も受けず、自分本具のものをそのままにしておく、あるいはそのままで働くの義である。(中略)「自然」には相対性はない、また客観的でない。むしろ主体的で絶対性をもっている。「自己本来に然り」という考えの中には、それに対峙して考えられるものはない。自他を離れて自体的、主体的なるもの、これを「自然」というのである。
西洋のnatureは二元的で「人」と対峙する、相剋する、どちらかが勝たなくてはならぬ。東洋の「自然」は「人」を入れておる。離れるのは「人」の方からである。「自然」にそむくから、自ら倒れて行く。『日本再発見』より

少々長く引用しましたが。おわかりなりましたか。
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by fumonken | 2014-04-19 20:09 | 禅・仏教について | Comments(0)

力とは

人間力、直感力、発想力、交渉力、営業力など、とかく何々力などといったことが求められる今日この頃です。でも「力」とは他に対して誇示するものではなく、己の内に秘めるものと思います。本来何々力なんてものはありません。それはまやかしと言ってもいいでしょう。力とは自分を信じる力のことです。自分を信じる力は、継続によって、培われていくものです。
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by fumonken | 2014-04-15 21:36 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

ご結婚おめでとう

○○さんへ

京都の普門軒です。ご無沙汰しております。この度はご結婚おめでとうございます。式の方はいかがでしたか。当分□□の方にいるんですか。□□の桜はもう見頃は過ぎたでしょうか。

さて結婚の時、つまり晴れやかなときには多くの友達、知人が集まってくれます。でも本当の信頼できる人というのは、苦難になったときに集まってくれる人のことです。そういう人を一人でも多く、作って下さい。また○○さん自身も、相手に対してそういう人になって下さい。それにもっとも必要なことは「信」の道です。

「信」とは人+言で、約束をまもること。つまり言うこととすることを同じくすることです。これを言行一致といい、これは禅のもっとも大切にするところです。つまり「信」とは言行一致の精進の上に成り立つのです。

言行一致の精進をして始めて人に用いられるようになります。これを「信用」といいます。信用されてさらに精進することで、人に頼られるようになります。これを「信頼」といいます。さらに言行一致の精進を積み重ねると、人に任されるようになります。これを「信任」といいます。

どうぞ、お互いのことを信じてください。同時に信じてもらえるように精進して下さい。われわれの人生とは「信」の道なんです。この「信」の道をあゆむことで、気づけば、自らを信じることができるようになるんです。これを「自信」というんです。
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by fumonken | 2014-04-09 11:59 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)