普門軒の禅寺日記・京都の宿坊・お寺に泊まる

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今度は橋下さんが

大阪の橋下知事が関西に電力供給している原発の新規建設を止めることを目標とした計画づくりを始める考えを表明したそうです。「新規原発を止めにかかる。どういうことをやらないといけないのか、第一歩を踏み出したい」と述べているそうです。橋下知事の行動力、実行力、統率力には、同じ世代ではありながら、こんな人がいるのかと本当に頭が下がります。

福島の原発事故以来の反原発という流れは、これまでの一部左翼やアンチ原発の市民運動とは、明らかに違うと私にはうつります。孫さん、橋本知事といった社会の要人が、それぞれの立場を生かして、ある意味においてその立場をなげうって、具体的にその道筋を見つけようとしています。そこにはこれまでの自己への反省があります。この自己反省がとても大切です。自己反省を元に断ち切る覚悟を持つ。

私には何十年後かには原発のない社会が本当にやってくるのではないかと思われます。

反原発デモ自体も旧態依然としたイデオロギー的、市民運動的デモも多くあるようですが、中には自己の反省に至り、社会そのものを問いただすデモも多くあると聞きます。これは中国の尖閣諸島への領海侵犯の際に起きたデモにも見受けられたことですが、己の利益ではなく、公のためのデモへの変革のように見受けられます。こうなったとき、私は事は動くと思います。

禅語に「放下著」という言葉があります。全てを投げ捨てる、放り出す、捨て切てよという意味です。そこから始まるというのです。
かの西郷隆盛は、「金もいらぬ、命もいらぬ、名誉もいらぬ人が、一番扱いにくい」といっています。「放下著」を体得した人間のことではないでしょうか。
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by fumonken | 2011-04-27 21:07 | 日課抄・歳時記 | Comments(3)

孫さんの記者会見を見て

ソフトバンクの孫正義さんの原発に対する記者会を見ました。新聞・テレビには取り上げられていないようです。私はYou Tubeで見ました。

とてもわかりやすかったです。孫さんの立場は脱原子力発電ですが、単なる反原発、脱原発の運動家とは違うので、非常にわかりやすいです。やはり経営者としてとても現実に立ち、冷静に捉えておられるように気がします。

孫さんのような社会の上に立つ者が、公のために立場を明確にされたことは、社会に大きな影響を与えるのではないでしょうか。このようなリーダーがもっともっと出てきていただけると、日本は良き方向に向かっていくと思います。とても有り難いことです。

ぜひ、みなさんにもごらんいただきたいです。
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by fumonken | 2011-04-26 13:06 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

原子力発電の推進者と大東亜戦争の大本営

私は原子力発電については明るくないので、その危険性や利便性について詳しい見識をもっておりません。私がいろいろな専門の方たちの話を聞いていて思うことを述べます。

とくに原発を推進している方たちをみていると、大東亜戦争末期の大本営の軍務官僚と同じじゃないかと思うわけです。はじめに断っておきます。私は決して大東亜戦争に関して、間違っていた、戦前の日本は間違っていたという思想の持ち主ではありません。

大東亜戦争末期、軍務官僚と政治家は国家の方針を冷静に見直すことができなかった。そのまま戦争を続けるべきなのか、戦略を見直すべきなのか、戦争を終息に向かわせるべきなのか。一度進んだものを誰も止めることができなかった。その結果が昭和二十年八月です。

今の原発推進の方の思考回路は大東亜戦争末期の軍務官僚と同じ思考回路だと私には感じます。とりあえず浜岡原発だけでも止めてみようと言えないのか。誤解を恐れずに言いますと今回の福島原発の事故はミッドウェー海戦の敗戦かもしれません。米軍の沖縄上陸の直前かもしれません。私は原発の戦略をこのままの状態で進めることは、空襲で何もかも失ったあの無惨な敗戦に向かうのではないかと危惧するわけです。

「神国日本は絶対に負けない」「原子力は全廃できない」。この二つの思想が私には重なって見えます。私はこの国を愛するがために原子力関係者の方々、政治家の方々は勇気を持った「英断」を切にのぞみます。
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by fumonken | 2011-04-21 21:45 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

自動販売機争論その2

よく覚えています。十年以上前のことです。東京都がゴミの収集について、大変革を投じました。それはゴミ袋を半透明にしたことです。私が学生のころですから平成六年だったとおもいます。それまで当たり前のようにゴミ袋といえば黒いポリ袋でした。半透明にすることでゴミの内容がわかるというものです。そのときの反対意見の多くは「不便になる」とか「プライベートが保たれない」というものでした。よく覚えています。

でも今では半透明のゴミ袋は当たり前です。だれも「不便になる」とか「プライベートが保たれない」から使わないなんて人はいませんし、個人の自由が規制されたなんて多くの人は思っていません。

石原都知事が言うように、こんなに自動販売機がたくさんなくては日本人にとって困るのでしょうか。私もそうは思いません。「我欲」によって日本人自身、本当に必要なバランスを見失ってしまいました。十年後「そういえば通りにはいたるところに自動販売機があったななんて」笑い話になるのではないでしょうか。

石原都知事は、その大震災による節電を機に、自動販売機を「我欲」のひとつとしてあげられ、私たち日本人の生活態度、暮らし方について一石を投じているのだと思います。
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by fumonken | 2011-04-16 07:13 | 日課抄・歳時記 | Comments(2)

自動販売機争論

石原慎太郎都知事が再選されました。個人的には喜ばしいことと思います。石原都知事が当選後のインタビューで自動販売機の是非をおっしゃっておりました。都知事が節電のため自動販売機の不使用を求めていることに言及したことを私も強く支持します。

私は学生時代、町並みや景観の保全の勉強をしておりました。そのときいつも思うのが立て看板や電信柱・電線と自動販売機の乱立です。皆さんのご存じの通りヨーロッパの町並みには電線や自動販売機は皆無に近いですよね。私は日頃、西洋に負けない日本の良さを強調しているのですが、町並みに関しては日本は非常に劣ります。これは日本の文化が劣っているのではなく、戦後日本人の思想が間違っているからです。

どう間違っているか。それは異常なまでの個人主義、自由主義思想です。個人の敷地において、自動販売機を設置することを、今の公は止められないのです。たとえ変な立て看板や建物がつくられて、町並みを壊してしまっても基本的には公は止められません。個人には自由があるからです。表現の自由があるからです。迷惑ではないかどうかは、個人の意識に任せるしかないのです。たとえ周りがいやがっても、止められない。そういうことが積み重なり、時間が経って行くにつれ、日本人の意識はどんどん低くなり、いつしか我欲がそれを支配するに陥ったわけです。私は自動販売機屋さんには申し訳ないのですが、自販機は我欲の象徴だと思っています。都知事の言うとおりなくても良いものです。

ちなみに自動販売機4台分で、一般家庭の電気消費量と同じだそうです。
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by fumonken | 2011-04-14 14:16 | 日課抄・歳時記 | Comments(2)

4月11日、仙台より

○○さんへ

今度の余震。余震といってもとても大きいけど、大丈夫ですか。いつも「大丈夫ですか、大丈夫ですか」としか聞いていないような気がして申し訳ありません。私は今でも津波や地震の映像は極力見ないようにしています。事実、ほとんど見ていません。今後も見ないようにしようと思っています。何度も何度も見ることで何か悪い意味で思考が停止してしまいそうで。当然、被災地の人は本物は見ているのですが、映像ではあまり見ていないのではないでしょうか。テレビ自体も見る機会も少ないと思います。こちらではみんな地震学者か、津波学者か、原子力学者にでもなったように、いろいろ話してきます。
私は「知らぬが仏」という言葉を思い出します。これはかなり救われます。知らない方が良いこともあります。

4月11日、仙台より

和尚さんへ

3月11日の地震は仕事中に被災しましたが、今回は自宅で一人でいるときにおこりました。直ぐに病院には行きましたが、停電とガスが点検の為の停止くらいで前回ほどの被害はありませんでした。大丈夫です。ただ、約1ヶ月たち、安心し始めていたところでの地震だったので、ショックでした。人によってはせっかく片付けた自宅がまた・・・
しばらくは余震が続くのでしょうが、もうやめて欲しいです。
私の職場は早くから電気が回復していたため、テレビで津波の映像等は見ていました。しかし、実際に被害にあった地区では情報が足りず、全体像は掴みにくかったと思います。情報提供としてはメディアはいいのでしょうが、その分その情報に踊らされてしまっているような気がします。
こういう状況では、考える力はとても大事なのだなと実感しています。
知らなければ、踊らせられることもないのでしょうね。

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by fumonken | 2011-04-11 18:53 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

原発反対デモに思うこと

東日本大震災、一ヶ月が経ちました。被災の規模の大きさ、そして原発の事故により、複合的な災害になってしまいました。今、原発反対運動が何カ所かで行われているようです。今度の週末にはもっと増えるようです。

私は今、そしてこれから行われるであろう原発反対デモに対して、正直に申し上げて懐疑的です。単刀直入に言いますと、原発に対して反対する前に、原発に依存していた己の暮らしにまずは反省するべきであろうと思っています。

原発反対の将来像は二つあります。原発を代替エネルギーに変えた暮らしにしていくか、原発の発電量の分を使わない暮らしにしていくか。日本の全発電量に占める原子力発電比率(2009年)は約30%、関西に限ると50%近くだそうです。原発反対のデモはどちらの将来像を描いているのでしょうか。ただ反対、ただ止めろというのは無責任な気がします。どうも私は反戦運動とかぶってしまいます。戦争反対、軍隊反対。じゃあ、どこかが攻めてきたときどうするのか。その代わりをどうするのか、もしくは諦める覚悟を持つべきだとといているのか。多くの反戦運動家はそこまで考えていません。デモが終わった後、歩いて帰るのでしょうか。電車に乗ってかえるのでしょうか。ただの反対は思考の停止につながりかねません。

こういう国難は誰が悪いとかではなく、思考を停止するのではなく、将来に向けて覚悟を持つべきです。

私は代替エネルギーには反対です。私は反原発ではなく、少量電力消費社会を言いたい。電力を使う暮らしを見直して、電力消費を少ない暮らしに変えていくべきだという覚悟を持つべきです。そういう暮らし方をお年寄りから聞いて、己の暮らしを直していく。暮らしを直すと言うことは仕事場ももちろん直すわけですし、いわゆるGDPも相当落ちるでしょう。でもいいんです。そういう暮らし方に日本は切り替えていくんだと世界に発信していく。それが、日本の道だと思います。

私は1972年の生まれです。現在の電力消費量は私が生まれたころの約2.5倍です。たった40年で、2.5倍です。40年前でも車は走っていましたよ。でも数年で買い換えていませんでした。テレビはありましたよ。でも各部屋にはなく、大型画面のテレビはありませんでした。洗濯機はありましたよ。でも全自動、ドラム式、乾燥機はありませんでしたよ。でも人々は生きていました。それが少量消費電力社会です。
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by fumonken | 2011-04-11 13:59 | 日課抄・歳時記 | Comments(1)

6.八正道…仏教における実践の道

今日は、宿坊に泊まりに来る方からのたくさん聞かれる話題についてお話しします。それは「正しいって何ですか。何が正しいことなんですか」という話です。仏教において「正しい」とは「八正道」に説かれています。

一、正見(しょうけん)…正しいものの見方、立場を持ちなさい。正しいものの見方とは、諸行を無常と見、諸方を無我と見ることです。しかも知識としてみるのではなく、自己の思想、世界観の根源として持ちなさい。それが「正しい」ことの根源であり、生活指針の根源です。ですから正しいとは独りよがりではない判断、時代を超える基準のことです。ここが大切です。
二、正思(しょうし)…正しい見方を持つと正しい思想が宿ります。
三、正語(しょうご)…正しい思想を持つと正しい言葉が身につきます。
四、正業(しょうごう)…正しい言葉が身につくと正しい振る舞いが身につきます。
五、正命(しょうみょう)…正しい思想、正しい言葉正しい振る舞いが身につく、つまり正しい暮らし(道)が営まれると、正しい使命(すべきこと)が見えてきます。
六、正精進(しょうしょうじん)…正しい使命がわいてくるとただしい努力ができます。さらに正しい道が実践的になります。
七、正念(しょうねん)…正しい努力に伴い正しい信念が確立されます。正見をさらに留め忘れないようにする信念のことです。
八、正定(しょうじょう)…正しい信念を持つと正しい心の統一がなされます。そして正定はさらなる正見を得ることにつながっていきます。

こう考えて見ください。今の日本人は俺には自由がある、俺に権利がある、そういうものの見方があります。そういうものの見方は、個人主義、自由主義なのかもしれません。個人主義、自由主義は、「私、私」「俺、俺」という自分の意見をはっきり言う言葉につながり、またそういう態度につながります。そうすると仕事観も自分の能力、個性を生かす仕事に使命として感じてしまいます。人をけ落としても個人の能力を伸ばすための努力が重宝されるでしょう。またそれが正しいと信じ込む。

どうでしょうか。正見、つまり正しいとする世界観ひとつで、人は変わっていきます。私は仏教徒ですから正見として諸行無常、諸法無我を「正しいこと」として立脚し生きていきたいです。

さらに私たちは仏の道の実践徳目「六波羅蜜(ろくはらみつ)」を身につけなくてはなりません。
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by fumonken | 2011-04-09 17:25 | 禅・仏教について | Comments(1)

5.五蘊盛の苦しみ…五蘊とは

「五蘊(ごうん)」とは五つの集まりという意味で、人間の肉体と精神を五つの集まりに分けて示しています。その五つとは肉体また物質を表す色(しき)、精神を表す受(じゅ)・想(そう)・行(ぎょう)・識(しき)の五つです。

例をあげてます。
被災地に食料品が届く。これは「色」です。
うぁーと感じる。これが「受」です。
ある人は助かったと思う。ある人は遅いぞと思うかもしれない。これが「想」です。
ある人は列に並ぶ。ある人は横は入りをするかもしれない。これが「行」です。
ある人はみんなのおかげだと手を会わせ感謝する。ある人はもっと強引にしなくてはと思うかもしれない。これが「識」です。

般若心経にはこう書かれております。「照見五蘊皆空、度一切苦厄」。五蘊はみな実体、我がない、空である。つまりすべては無我無常である。そう「照見(正見)」すれば、一切の苦・厄は、わたりこえる(度)ことができる。

苦難や災厄にあうと、私たちはどうしても人のせいにしたり、恨んだりしてしまう。しかし、いかに自己中心的に原因を外に求めても、すべては縁によって起こるのです。つまり因縁なのです。あらゆる苦から抜け出すには、私たちはいよいよ、その実践の道である「八正道(はっしょうどう)」を知る必要があります。
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by fumonken | 2011-04-09 10:47 | 禅・仏教について | Comments(0)

4.四苦八苦…仏教における「苦」とは

仏教の根本的な世界観として「一切皆苦」をお伝えしました。それでは、「苦」とはなんぞや。

仏教において根本的な苦しみとして、
生・老・病・死(しょうろうびょうし)…生まれること、老いること、病むこと、死ぬことの四苦。
愛別離苦(あいべつりく)…愛する者と別離する苦しみ。
怨憎会苦(おんぞうえく)…怨み憎んでいる者に会う苦しみ。
求不得苦(ぐふとくく)…不老不死や、求める物が得られない苦しみ。
五蘊盛苦(ごうんじょうく)…生きているだけでわき上がるあらゆる精神的な苦しみ。

これら八つのことがらを「苦しみ」ととらえます。それはこの世を無常、無我の世界観としてとらえられない結果として、八つの苦しみとして表れてしまう。

中でも「五蘊盛苦」は「一切皆苦」と同じ意味を表します。ですから、私たちは「五蘊(ごうん)」をひもとく必要があります。
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by fumonken | 2011-04-08 17:35 | 禅・仏教について | Comments(0)