普門軒の禅寺日記・京都の宿坊・お寺に泊まる

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和楽宣言

私は禅宗坊主になる以前、有志と「和楽社中」という仲間を組んでいました。日本の文化を積極的に自分の暮らしに取り入れていこうというグループでした。古い家を借りて住み、着物を着てという生活です。その「和楽社中」の活動方針として「和楽宣言」というものをまとめたわけです。

先日、旧友より「和楽宣言」があったら又読みたいという言葉をいただいたので、データを引っ張り出してきましたので、ここに紹介したいと思います。


和楽宣言  ー和に帰れ、「これから日本人」ー

我々和楽社中は、近代的な生活用品に囲まれた暮らしの中に、日本の伝統的な道具を取り入れ、文明と文化の調和がとれた暮らしの実践をここに宣言する。
 
現在、日本人は実の多くの便利なものに囲まれて暮らしている。車、地下鉄、新幹線。テレビ、コンビニ、インターネット。ファミコン、パソコン、カーエアコン…。我々はこのような文明的な暮らしを否定する気は毛頭ない。しかし、戦後、とりわけ高度経済成長以後の日本人の暮らしは、過度に文明至上主義に偏重し、近代化(個人化、効率化、高速化、巨大化)した。その結果、経済を抜きにした精神的連帯や、自然や生命の持つリアリティの喜びを暮らしの中で感じられなくなり、かえって無機質的なものになってしまった。日本人が文明的な生活を目指すばかりに真に豊かな暮らしを考えることを怠ってきたからだ。

我々は、豊かな暮らしとは便利で合理的な「文明」と、特殊で非合理的な「文化」の調和により生まれると考える。かつて(明治から戦前にかけて)の先人たちには日本の文明化に対し、「和魂洋才」の精神で日本文化との融合をはかろうという気概があった。その先人たちのたゆまない努力に感謝し、またその精神を受け継ぐ覚悟をせねばならない。我々は新しく「七和三洋」というスローガンのもとに、文明と文化の調和のとれた真の豊かな暮らし、「和楽な暮らし」の構築をめざし、和楽の目的を達したい。
 
では和楽な暮らしとはどういうことか。答えは明快である。伝統的で民族的な生活道具「和の生活道具」を各々の暮らしの中で使うことである。つまり、近代的な生活用品を「和の道具」にすり替え、切り替えることによって、「和楽な暮らし」をつくり上げることができる。和の道具とは、単なる暮らしの構成要素だけではなく、自然の素材の活かし方、用途の転用性といった日本人のシンプルなライフスタイルの思想、知恵を具現化したものでもある。

我々はそのような和の道具を「使う」ことによって、いろいろなことに気づくであろう。そういった「経験・体験」に基づく発見こそが、本当の意味での「知識・知恵」として日本の文化を理解し、受け継ぐことつながる。その実現のために、我々は具体的な三つの方策で望む。

一つ目は感覚、感性の名の下にあいまいにされてきた和の道具を、素材、形態、用途、思想などの観点からドラスティックに探求することである。二つ目は和の道具が伝統的工芸品、古美術となっている現状から解放することである。三つ目は和の道具が暮らしを楽しく、そして豊かにする道具であることを啓蒙していくことである。

環境問題に関心のある者。老人福祉の道を志す者。お金より精神的満足を求める者。そして日本文化に興味のある者。これら「これから日本人」は和の道具を単なる骨董品や古いものとしての対象とする視点を排して、民族的な生活道具として取り戻そう! 暮らしの中にある近代的な工業製品を少しずつ民族的な生活道具に切り替えよう! そして文明と文化の調和のとれた暮らしが一つの形態となるよう、「和楽な暮らし」をともに希求し、想像し、実践しよう!

平成13年8月15日 和楽社中一同 京都、和楽亭にて

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by fumonken | 2011-03-31 13:14 | 日課抄・歳時記 | Comments(3)

新しい鶏小屋

また近くの方に鶏をいただいたので、新しい鶏小屋をこしらえました。今度は小屋と言うよりは縁の下のおうちです。二週間ほど手伝いに来てくれた人と一緒につくりました。泊まりに来た方、トイレにしたに鶏がおります。どうぞご覧ください。
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by fumonken | 2011-03-26 17:29 | 作務 | Comments(0)

オール電化住宅

東電のエリアではこの三年間でオール電化住宅の戸数が倍増し、最大で原子力発電プラント二基分にあたる約200万キロ・ワット分の電力消費能力が増えた可能性があるとのこと。非常に困ったものです。困ったと言うよりも恐ろしいですね。そんなに電気依存度の高い暮らしをしている人が増えているとは。二基分ですか。私にもオール電化の友人がいます。人ごととは思えません。でもそれを変えようとするか…。おそらくそういう暮らしを見直すことはないでしょう。

ちなみに普門軒の一ヶ月の電気代は1200円程度です。脱電化暮らしとは思っていませんが、できるだけ電力に頼らない暮らしを、これからも続けていきたいです。私の友人は子供もいますが、さらに電気代が安いと聞いています。

改革、改革と口うるさく言われて久しいですが、私たちの暮らし方そのものを改めてる必要があると思います。
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by fumonken | 2011-03-23 19:36 | 日課抄・歳時記 | Comments(4)

仏教の世界観から天災をどうとらえるか

「外国」さん、コメントありがとうございます。このたびの大震災にはあらためて、命とは何なのかを考えさせられました。同じ人間でありながら、一方では命を救い、一方では命をあやめる。一方では外国に救援に向かい、一方では外国の領土を不法に支配する。一方では「外国」さんの感謝を感じ、一方では私のように弱点をあげつらう。やっぱり人は矛盾を抱え生きていくのだと改めて痛感させられました。

私が今回の外国の対応を通して思ったことは、今、この地球にはたくさんの国家があり、そこに国境があるということです。日頃、国家を感じない暮らしをしていても、いざ、こうやって有事が起きると、そこには国境があり、国家の存在を知ることになります。自衛隊が救助活動を行うことも、警察や消防の方々、それぞれの任務を行うことも、国家があってのことです。逆に外国の国々がそれぞれの対応をするのも、それも国家ごとに違う。そしてその国の人々はそれぞれ所属する国の指示に注視する。

IMAGINEの歌詞に
「Imagine there's no countries it isn't hard to do」
とありますが、厳然と国家は存在しています。国家の意思によって、救援にも来るし、国外退去のさせるし、空爆もする。 残念ながらエールフランスにベトナム人が乗って、ベトナムで降ろしてはくれない。宗教はそういう国家の意志を越えられるのか。

仏教は諸行無常を正見とする。諸行無常の世界観で大災害をどうとらえるのか、どううけとめるのか。齢八十を越えた老僧にたずねてみた。「これはやっぱりすべての日本人のおごりに対する天罰だろう」と静かに答えた。

さらにその天罰を自他共にみんな(衆生)で受けようという境涯にこそ仏教の真理があるとお答えになられた。そこには国籍もなければ国家もない。その場にいたという事実だけであり、それを縁と受け止め、それぞれの立場で一緒に天罰を受け止める。それが仏教徒のなすべき姿だと教えをいただいた。そして最後に世は無常だ。同時にこの天災もいずれ終わりが来る、天災もやはり無常なんだとおっしゃられた。
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by fumonken | 2011-03-21 21:56 | 禅・仏教について | Comments(2)

私には理解できません

今回の東日本大震災により福島の原発事故が起こりました。そのため欧米諸国は大使館を閉めたり、自国民に避難するように勧告をしています。
アメリカ政府は、東京の在日米国大使館、名古屋の総領事館などの米政府関係者の家族約600人について、国外退避を認めると発表した。チャーター便を用意したそうです。
フランス政府は、東京周辺に滞在中の仏国民を速やかに国外退去させるため、エールフランス航空に対し、臨時便を可能な限り用意するよう要請したそうです。
自国民の命を守るという国家としての責務でしょうか。

三月二十日のニュースにこんな記事が載っておりました。
米英仏軍のリビアへの空爆で48人死亡、150人負傷
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by fumonken | 2011-03-20 17:16 | 日課抄・歳時記 | Comments(2)

大震災に際して

東日本大震災では多くの方々が亡くなられております。亡くなられた方々に対し哀悼の意を表しますとともに、未だ行方不明の方々も多くおられるとのことです。一人でも多くの生存者が見つかりますようお祈り申し上げます。

さらにこの厳しい状況の中で、救助活動をされております自衛隊の方々、消防、警察の職員の方々、また看護師、医師の方々、本当にご苦労様です。私はこのような国難に対して、坊主として何もできない己をただただ恥じるしかなく、本当に無力を感じます。

私にできることは、こういう国難に遭遇したときこそ、禅定の心を少しでも早く取り戻せる人間であれということを、日頃から伝えていくことだけです。

また海外の報道から、被災者の忍耐強さと秩序立った様子に驚きと称賛の声が上がっているとのこと、日本人として本当に誇りに思います。
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by fumonken | 2011-03-16 21:26 | 日課抄・歳時記 | Comments(2)

よっしゃ石(意志)を動かすぞ!

今日は常連の投宿者(半分以上、弟子)の人といっしょに、日中ずっと大きな大きな石を動かしておりました。てこの利用で何とかなるものですね。びっくりしました。女性陣は味噌づくりでしたが、我々男性陣(といっても二人ですが)は石の移動でした。

何度かうまく動かずにあきらめて書けていましたが、まさに意志を動かし、なんと移動することができました。まさに「馬鹿になれ!」という臨済宗の宗旨の通りです。
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by fumonken | 2011-03-14 17:42 | 作務 | Comments(0)

知足の心

「われわれが、これまで科学や文化や宗教において達し得た所は、これから得ようとしているところに比べれば取るに足りない。
それ故に、すでに達し得たところに安住することなく、目標を目指して奮闘する前進の過程こそ肝要なのである」
関西学院大学創立者 米国南メソジスト監督教会の宣教師 W.R.ランバス

「吾が唯、足るを知る」 
竜安寺 つくばい
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by fumonken | 2011-03-09 17:08 | 禅・仏教について | Comments(0)

孔子の言葉

「子曰わく、弟子入りては則ち孝、出でては則ち弟、謹みて信、汎く衆を愛して仁に親しみ、行いて余力有れば、則ち以て文を学べ」「しのたまわく、していいりてはすなわちこう、いでてはすなわちてい、つつしみてしん、ひろくしゅうをあいしてじんにしたしみ、おこないてよりょくあれば、すなわちもってぶんをまなべ」

という言葉があります。古来より戦前まで学問を学ぶべき人物には、前提となる資格が求められました。ただ勉強ができる人、ただ興味がある人、関心がある人では、学を学ぶべき資格を有しない。学を学ぶべき人物とは「入りては則ち孝、出でては則ち弟、謹みて信、汎く衆を愛して仁に親し」んでいる人物であり、「余力有れば」学問を学ぶべきであると説いています。こんな言葉を言ってくれる学校の先生に会いたかった…。
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by fumonken | 2011-03-05 17:18 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)