普門軒の禅寺日記・京都の宿坊・お寺に泊まる

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この国のこころ…月謝

サラリーマン時代、私は毎晩スポーツジムに通っておりました。。月に会費を納めて、もちろんお金は銀行の自動引き落としです。月会費と言ったり、利用料と言ったりしますね。私事ですが、三八歳にして初めて武道である剣道を始めました。そこでももちろんお金をお支払いするのですが、そこに書かれている言葉に目がとまりました。「月謝」。読んで字のごとく、指導を受けるにあたり謝礼として月ごとに支払う金のことです。

同じお金を支払うという行為ですが、「月謝」と「月会費」ではずいぶんと違いませんか。

会費、授業料などの言葉には直接、お金の意である費とか料という字が使われています。あくまでも学んだ、利用した対価として支払っている感じがあります。しかし月謝には直接お金の意をもつ言葉が含まれておりません。それとは別に日本人にとって大切な「感謝」という徳目が含まれております。これは同時に「教えていただく」という学ぶ者の姿勢が現れていると言えます。

ちなみに道場へは銀行の自動引き落としではなく「月謝袋」に入れて直接、お渡しします。その時お互いが「有り難うございます」という言葉を口にします。
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by fumonken | 2010-08-27 11:43 | Comments(0)

この国のこころ…宗教と信心

以前にも書いたと思うが、宗教とは明治期に西洋の言葉「religion」を訳した言葉である。宗教とは西洋の概念なのである。「私は無宗教です」と六〇代より若い世代の日本人の多くはそう口にする。私から言わせてもらえば、そんなことは当たり当たり前のことである。日本人にとって仏教や神道は「宗教」の対象ではありません。

誤解を恐れずに言うと、日本人にとって宗教とは、民主主義、自由、平等、人権と言ったような近代思想の概念の一つに過ぎないのである。

それでは、日本人にとって仏教や神道はどういう概念の対象なのか。それは「信心」である。信心とは「信じるべき心」のことである。仏教や神道が信じるべき心を解いているかいるかどうかが最も大切なんです。日本人は心の民である。私は日本人は古来、心を生きるよりどころとしてきました。その心を理解する上で、原始的な神道が生まれ、さらに飛鳥時代に仏教が入ってきました。その仏教が日本人の心を説くのに非常に適していたのだと思われる。だから仏教や神道は「信心」の対象として、多くの日本人、そして長きに亘り日本人のよりどころになったのである。
仏教は心を本来「無我」ととらえている。古来、日本人がもやもやととらえたいた心の概念。その日本人に響いたのであろう。それは「解(ほど)かれた心」。つまり「ほとけ心」のことである。それが日本人の生きる原動力、日本人の心なのである。
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by fumonken | 2010-08-21 18:12 | Comments(1)

ここのところ

ここのことろ、普門軒に投宿に来られる方が、とてもとても感じの良いというか、真を感じる人々が集まってこられます。普門軒に来られる投宿者の方は二〇代、三〇代の方がほとんどです。それぞれ思い合って、この禅寺の門をたたきます。そんな彼らと、寝食を共にし、朝な夕な、色々話し合うのが私の至福の時間です。

私は本当に思います。日本も捨てたもんじゃない。あつい奴らがこんなにも多いのか。本当に思います。仏教や禅は難しい。確かに難しい。しかしそれは知識での理解のことです。理解なんてしなくても良い。心の響けば良いんです。みんなで響き合うんです。それはみんなの心に内在しているからです。外に答えがあるんじゃありません。答えは心の中にあります。それを禅の暮らしは気付かせてくれる。そして一緒に過ごすことにより響き合うんです。

五〇代、六〇代でもいいでしょう。しかし二〇代、三〇代の若いときにその心をつかんで欲しい。その心を真として、それぞれの仕事や立場を通して「人のために」生きてほしい。そして家族を持ち、子どもを育てる。子どもへも「人のために生きる」ことをちゃんと伝えるんです。それは言動をもって。「自分のため」「お金のため」なんて真ではありません。本当に真ではないんです。

私は宿坊を開いて本当によかったと思っております。そして禅宗坊主になって本当によかったと思っております。
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by fumonken | 2010-08-17 17:10 | 宿坊について | Comments(1)

八月十五日に思う

今日は八月十五日、終戦記念日です。六十五年前のこの日、三年半続いた大東亜戦争は日本の敗戦で終了しました。この日から六年半に渡るアメリカによる占領が始まります。

この時期になると、よく戦争の体験の話やドキュメンタリーなどがテレビや新聞、雑誌などに取り上げられます。下の写真は、その「戦争」の写真ではなく、その「戦争が終わった後」の写真です。戦後でもとくに「占領下」の写真です。ここに泊まりに来る二十代、三十代の日本人の中に、日本がアメリカによって占領されていたことを知らない人が多くおります。それもかなり多いです。占領されたことは知っていても、それが六年半もの長きに亘り占領されていたと言うことを知っている人は皆無に近いです。

この写真はゼンマイ式の振り子時計の写真です。この時計にはこんな刻印があります。「MADE IN OCCUPIED JAPAN」。これは「占領下の日本製品」とでも訳したらいいでしょう。ようするに六年半の占領期間に作られた製品にはこの「MADE IN OCCUPIED JAPAN」の刻印が押されていたのです。輸出品にもそう書かれてありました。このほか、占領下における日本は色々なことをされております。終戦記念日にこんなことを考えました。
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by fumonken | 2010-08-15 09:13 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

この国のこころ…志

大河ドラマの「龍馬伝」がちまたではよく見られているようだ。私も幕末好きなので、とてもうれしい。確かに龍馬はやっぱりかっこいい。私は常々こう思っている。男はかっこよくないといけない。それは若くても年を取ってもそうである。かっこよく生きるのが男の生きるテーマである。
弱い者をいたわる、強きをくじく。そして好きな人を守る。これは男としてかっこいいから、そうするのである。

江戸時代に書かれた武士道の書「葉隠(はがくれ)」にこんな一文がある。
「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」

これはけっして自決や切腹を意味するものではない。武士(もののふ)の心は愛するべきもの、守るべきもののために一命をとして生きること、そう言う意味だと私は解釈している。

この心をもったものを志士というのである。「志」とは決して個人的な夢のことではない。「心目指す」「心指す」から「志」という大和言葉は来ている。無我の心で己を律し、愛するべき人、守るべきもののために一命をとして生きるという心を目指すことが「志」であり、そういう人間を「志士」というのである。

愛すべき、守るべきものとは、決して人や生きとし生けるものだけではない。教え、故郷、国、国柄、精神、人間関係そう言った目に見えるもの、目に見えないものも、これまでの人が大切にしてきた物事のことである。これらの物事は自分の個人的な夢などではないと言うことを見落としてはならない。自分個人的な能力や富は、あくまでも守るべきもののために生かすものであって、心目指すべきものではない。
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by fumonken | 2010-08-07 17:18 | Comments(0)