普門軒の禅寺日記・京都の宿坊・お寺に泊まる

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今日は若人が来てくれましたので

今日は、若人が泊まりに来ましたので、以前からの懸案事項であった、春日灯籠の移動に着手いたしました。イヤーやっぱり若い力はすごい。一気に動かすことができました。

私は彼らに言いました。みんなは若い。若いと言うことは正しい道に変わることができることだ。大人になるつけてていくこと自らは変わらずに、他を変えることばかり考える。でも本当に大切なことは我が変わっていくことだと。
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by fumonken | 2010-06-25 14:13 | 作務 | Comments(0)

コケを張ってくると

コケを張ってみると、普門軒の本堂前の庭も、何となく、格好がついて参りました。少しずつ少しずつですが、完成に近づいてきましたよ。投宿された方にもずいぶんと手伝っていただきました。これまで、延べ何人の方の手をお借りしたことでしょう。夏前にはコケも張り終えて、九月のお彼岸までには白川砂を敷き、庭も完成と言うことになる予定なのですが…。
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by fumonken | 2010-06-21 16:58 | 作務 | Comments(1)

僧侶が洋服を着ること

私は僧侶としてどうしてもできないことが一つあります。それは洋服を着ることです。

先日、ベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ十四世が来日されたとニュースで見ました。その目的は「非暴力と仏教の教えを広める事」であるとお話をされたそうです。ダライ・ラマ十四世のお写真や映像は、必ず衣に身をまとっています。おそらく、私的な場合でもジーンズやTシャツ、スーツなどは召さないのではないだろうか。二十四時間、いつもで、即今、僧侶であるという存在を感じます。

私はいっさいの公的だろうが、私的であろうが、洋服は着ないことにしています。洋服自体一切もておりません。今後とも着ることはないでしょう。修行道場の師匠はもちろんのこと、私の師匠もそうですし、私の師匠の師匠、その又師匠も、いっさいの洋服は召しておりません。公的な場合は衣、私的な場合は作務着または着物を召していらっしゃいます。その姿に、坊さんとしての道(生き方)の第一歩、いや絶対条件を感じております。

一般の皆さんは、公的、私的にかかわらず、僧侶が洋服を着ることをどうお思いでしょうか。是非聞かせていただきたいです。
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by fumonken | 2010-06-20 07:46 | 日課抄・歳時記 | Comments(2)

田植えの次は

田植えの次は、お寺の庭のコケ張りです。注文していたコケがようやく届きました。今日はコケ張りです。時期としても梅雨に入り、コケ張りにもってこい。
初めに黒土をばらまき、その上からコケを張り、さらにコケをたたき、足で踏み、水をたっぷりあげましょう。早くびっしりコケが着くと良いです。
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by fumonken | 2010-06-14 14:42 | 作務 | Comments(0)

田植えをしてきました

今年も田植えのじきをむかえました。 去年よりも一ヶ月近く遅い田植えになりました。友人が今年から四反の田んぼをすると言うことで六月十、十一、十二日と三日間、手伝いに行ってきました。またそのときの写真をアップしようと思います。
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by fumonken | 2010-06-12 19:37 | 作務 | Comments(0)

この国のこころ…人の道

人の道とは人生と言っても良いのかもしれない。
「はじめに光りありき」という言葉がある。「はじめに光りありき」ということは、その逆に「闇」が存在する。こう想像してほしい。アルファベットのYと言う字。光をYの字の上の右側としたら、闇は左側になります。また逆も然り。闇は暗くて怖い。光を目に見えるもの照らしてくれる。
しかしながら、仏教、とりわけ禅の場合、この言葉は適切ではない。光すらない。はじめすらない。光がないから闇もない。Yの字で言うならば、2つに別れる前の段階。それが禅のとらえ方である。それが禅のとらえる人の道である。
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by fumonken | 2010-06-10 07:03 | Comments(0)

思い起こせば

私は今年38歳になりましたが、思い起こしますと20代の頃、初めて外国を一人で旅をし、それ以来、色々外国を巡ちました。いささか格好をつけるようですが、日本とは何か、日本人とは何かを主題に生きてきたように思います。とにかく20代は日本とは何かを考えてきた。でもそれは多分に自己的な見解であったことが、禅宗坊主になってみて、はじめてわかりました。今、禅宗坊主になったことを本当に嬉しく思っています。

本当にうれしい。禅宗坊主になり、その答えが少しずつ、しかも確実に開いてきています。日本人とは何か。一言で言えば、日本人とは心の民だと思います。心は近代思想の言葉では訳すことができない。訳すことができないと言うことは、心の義を近代思想の概念でとらえることができないと言うことです。つまり、日本人は心について、近代思想にはないとらえ方をしていると言うことです。心とは深い深い義がある。本当に深い。心は深い。心の民。それが日本人です。
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by fumonken | 2010-06-06 07:29 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

梅雨はまだでしょうか

テレビがないもので、天気予報を見る機会が少なく、梅雨に入ったかどうか、よくわかりません。京都は今日も29度です。暑い日が近づいてきていると思うとめいってしまいますね。でも植物の青々した色をみますとやっぱりいいものです。
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by fumonken | 2010-06-05 13:14 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)