普門軒の禅寺日記・京都の宿坊・お寺に泊まる

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今年最後の行事です

昨日、今年最後の行事が終わりました。その行事とは餅つきと冬夜です。午前中から準備をし、今年は三〇キロ、餅をつきました。友人とその家族、近所の子供たちも呼んで、餅つきです。四時間近くかかりました。夜は禅寺の忘年会、冬夜(とうや)です。
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by fumonken | 2009-12-28 19:44 | 日課抄・歳時記 | Comments(1)

子供の力、親の力

昨日、私のとてもとても大切な友人に新たな命が誕生しました。元気な女子です。健康な子に育って欲しいと親父になった私の友人はいいました。彼らは助産院、つまり産婆さんのもとで出産しました。部屋も畳の六畳間。家のような部屋でした。私の想像した病院のような空間ではありません。

彼らは医学や薬に頼るのではなく、子供の力、親の力を信じています。薬や医学で保つ健康は、本当に健康なのでしょうか。私はまだわかりません。
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by fumonken | 2009-12-25 21:02 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

ここ二、三日

ここ二、三日とても寒い日が続いています。ようやく、冬が来たなーという感じです。朝方は-3度です。起きるのがつらい今日この頃です。
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by fumonken | 2009-12-23 12:41 | 日課抄・歳時記 | Comments(1)

戒め

すっかりご無沙汰しておりました。臘八の一週間が過ぎまして、すこしばかりゆっくりしておりました。また気持ちを切り替えまして、日々の生活に精進していこうと思います。

和尚の大事な勤めとして、檀信徒の方々に戒名を授けることがあります。これは仏教の戒めを伝道するということで、仏教徒としての証として受ける名前なんです。キリスト教でも同じようにクリスチャンネーム・洗礼名がありますね。

しかし、この戒めのとらえ方が仏教とキリスト教では違うんですね。聖書でいう戒は「〜してはいけない」という神からの戒めで、これは命令的な規則、禁止、掟としてとらえます。そしてそれを破ったものに対しては罰があります。一方仏教でいう戒めは、その語源もシーラという習慣からきているように「〜しません」という自主的な誓いの意味合いです。従って破ったものに対しては罰はありません。

つまり罰があるからルールを守るのはなく、罰がなくともルールを遵守するこれが本来の仏教徒、仏教を背景とした社会や国の理想的な姿なんです。この教えが深くあったからこそ日本には西洋のように法律が多くなくても、秩序が保たれたと言うことなんですね。その秩序は「自主的な誓い」と「社会的規則」の二重構造で保たれていたんだと思っております。

しかし戦後も六十年を過ぎますと、そういう仏教的戒め「自主的な誓い」は人々の心の中で薄れ、「社会的規則」さえ守ればいいんだろうという風潮に成ってしまいました。私はそれが昨今の日本人の日本社会の言動の乱れに深い深い影響を与えておるとおもっております。
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by fumonken | 2009-12-13 06:36 | 禅・仏教について | Comments(0)