普門軒の禅寺日記・京都の宿坊・お寺に泊まる

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ほうきの掃除

宿坊を始めまして、いろいろな方がお越し下さっております。朝、掃除をしてもらっているのですが、普門軒では、ほうきを使って掃除をします。これが驚いたことに、若い方、ほとんどの人がほうきの掃除ができないんですね。たまっていくほこり、ゴミを外に「掃き出す」という発想がないんです。

掃除機で掃除をするからです。掃除機はご存じの通り、「はき出す」のではく、「吸い込む」分けです。だから部屋のどこから初めてもかまいません。ほうきの持ち方もおかしくて、手が逆手になっている人もとても多いですね。疑故知がないという言葉が会います。同時に毎日掃除をしている人は皆無です。

これは若い人が日本の伝統的家屋、およびその生活を送っていない現れなんじゃないか、そんな風に思っているわけです。
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by fumonken | 2009-07-17 07:00 | 作務 | Comments(1)

お水下さい運動…その1

先日、私の外国人の友人が某有名なお寺さんに行きました。いわゆる観光寺、拝観寺院です。この暑い季節です。お寺の初老の女性の方いらっしゃったので、私の友人はこう訪ねたそうです。

「お水をいただけませんか?」
この言葉にお寺さんの方は即座に、
「あちらに自動販売機があります」
と言われたそうです。

お寺さんでこんなことを言われたことにかなりショックを受けたそうです。慈悲(じひ)は仏教徒にとって、もっとも大切な心の有りようです。慈悲とは他者への哀れみ慈しみの心、それに伴う「そうせずにいられないという行為」のことです。その行為には「利」を介しません。

日本人は、慈悲の字を「茲心非心(じしんひしん)」といっておりました。「この心、心に非ず」といい、自分の心を中心とするのでなく、相手の心を心として生きるといういみです。これは慈悲の心を如実に表しております。つまり、いっさいの人々と同体であるという自覚に生きることが慈悲であります。ちょっと長めになったので今日はここまで。
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by fumonken | 2009-07-12 07:13 | 日課抄・歳時記 | Comments(1)

日本人にとって教育と学習

「習うより慣れよ」という言葉があります。私の友人の外国人は空手を習っています。その師匠に何度も何度も繰り返して、体で覚えなさいと言われたそうです。

戦後の日本の公教育は、アメリカの教育をモデルに改変させられました。「させられた」とは、戦前の日本の伝統的な教育を破棄させられ、子供を主人公にした教育制度になったわけです。日本の伝統的な公教育は、その言葉から分かるように、大人が子供に「教え育む」わけです。主語は大人です。一方戦後は「教育」ではなく「学習」になり、子供が「学び習う」わけです。主語は子供になりました。戦後の日本人の教育観はここからおかしくなりました。世の中のための教育から、子供のための学習になった。これはすべて個人主義が戦後の思想の中心にあるからでしょう。

私は個よりも公を重んじる日本の伝統的な思想を大切にすべきと思いますから、はやり学習偏重の現状から、大人として教えるべきことを教え伝える教育に戻るべきだと思います。
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by fumonken | 2009-07-11 10:19 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

商標問題

こんなニュースがありました。「松阪牛」は日本でも有名な牛肉のブランドですが、この「松阪」が中国で商標登録されているようです。その解決のために松阪の市長さんが中国に向かったそうです。ここで中国批判をするわけではありませんが、中国にももう少し、人間としての常識を持ってもらいたいものです。

聞くところによると、「藤原紀香」「福原愛」といった芸能人の名前のほか、「クレヨンしんちゃん」を中国語に訳した「蝋筆小新」や、野菜のブランドでしょうか「青森」とか「秋田」そういったものまで商標問題されているようです。と言うことは、その言葉を使うときは、その権利代を支払わなければ行けないと言うことになります。

日本人にとって、ブランドとは時間をかけて作られていくものであり、単に人気が出たからブランドになるわけではありません。「老舗」。これは中国にはないそうですね。そのときに売れる物を、次から次に作っていくのが、その国民性にあるようです。これは良い、悪いのはなしではありません。国民性の問題です。

幸か不幸か、今は、鎖国の世の中ではありません。「老舗」文化を守っていく以上、日本としてもそれなりの対応をして行かなくてはなりません。
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by fumonken | 2009-07-10 10:17 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

宗教者と政治家

先日、イタリアを訪れている麻生首相が、ローマ法王のベネディクト十六世に謁見されました。私が坊さんで有るからでしょうか。やはり政治家と宗教者とでは、空気が違うなあ、そんな感じを見受けられました。ローマ法王の様相は伝統的な装束をされております。一方、麻生さんは一般の人と同じように背広姿です。でもただ服装が違うだけではないような気がします。どこかローマ法王には人格者としての空気を観じました。これは政治家が悪いというお話ではありません。政治家と宗教者はどこか空気が違うなーと言うお話です。
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by fumonken | 2009-07-08 08:32 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

宿坊についての心得・諸注意

普門軒の宿坊は宿泊施設ではございません。宿泊施設としてお泊まりをお考えになっている方、自分のことをお客だと思ってこられる方は、固く、固くお断りいたします。投宿者としてお越し下さい。 日常の自分を鍛え直す、見つめ直すという方のお越しをお待ちしております。お帰りに成るとき、「一宿一飯の恩」が自然と身についていた、そんな時が過ごせていただけたら幸いです。

一、「お寺に泊まらせいただく」
本尊様、お寺への敬意、感謝の心を忘れずにお過ごし下さい。
一、「約束事の遵守」
「自分」「都合」は持ち込まず、お寺でのルールは守ってお過ごし下さい。
一、「和合第一」
他者への気遣い、他者との和合を第一にお過ごし下さい。

以上。
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by fumonken | 2009-07-06 09:03 | 宿坊について | Comments(0)

エコのトリック

「環境にやさしい」という言葉が一般的になってずいぶん久しくなります。麻生内閣でも環境政策が重視されております。でもその内容は環境という名を借りた、商品の買い換え政策ではないでしょうか。

一番環境によいことは我慢することでしょう。今の行きすぎた生活スタイルを認め、それを戻すことでしょう。少なくとも三〇年ほど前の生活水準に戻せば、すむ話です。クーラーを使っても良いでしょう。テレビを持っても良いでしょう。車を持っても良いでしょう。でも一家に一台。それでいいんです。今のように一人一つずつ。これは個人主義の最たる結果です。

買い換えにだまされず、長いことを使うこと。エコとは生活の道具のことではありません。生活の行為のことです。
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by fumonken | 2009-07-01 11:00 | 日課抄・歳時記 | Comments(1)