普門軒の禅寺日記・京都の宿坊・お寺に泊まる

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すっかり暑くなりました

今年の梅雨は雨が降りません。大丈夫でしょうか。五月に植えたお米も気になります。
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by fumonken | 2009-06-27 17:08 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

東さん、頑張って下さい

最近、地方の知事さんたち、といっても東国原知事や橋下知事など一部ですが、とても頑張っていらっしゃります。頑張っていると言えば、一言ですみますが、一言ではすまないような活躍ぶりです。本当に国を思う姿に感銘を受けます。私はせいじのはたけに身を置く人間ではありませんが、宗教家として、やはり国をうれいております。このままでは本当に日本は崩壊するでしょう。崩壊とは国が破綻するというような、表面的なことではありません。大東亜戦争後の歴史、伝統の分断が、六〇年たち、完璧に完成するんじゃないkと危惧しております。
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by fumonken | 2009-06-26 17:10 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

今日から夏使用

すっかり暑くなりましたね。普門軒でも、建具を取り外し、夏使用にしました。今年も暑くなりそうです。それにしてもつゆなんでしょうか。
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by fumonken | 2009-06-19 14:14 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

布教研修会

先日、我が宗門、臨済宗の布教研修会に行って参りました。十日間、寝泊まりで行われる研修会です。布教研修会の内容は、主に法話の研修会です。

布教とは、宗旨の教えを広める活動のことです。言い方はおかしいかもしれませんが、会社組織で言う、宣伝のようなものです。臨済宗はほかの伝統的仏教の宗派の中でも、布教という面では、かなり遅れていると言われているそうです。私たち若手の和尚がなんとか持ち上げていかないと行けないんだという気持ちになりました。
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by fumonken | 2009-06-17 17:10 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

この国のこころ…日本人が信じてきたもの

今の多くの日本人にとって、宗教とは、お宮参りにしても、法事にしても、葬式にしても、信仰上の行為ではなく、あくまでも儀礼として行っているといえる。儀礼と信仰は違う。「仏彫って魂入れず」。つまり外見だけ、中身がない。中身とは聖なる存在とそれを信じるという信仰がない。

日本には心技体という言葉がある。仏教でいうと、心とは「聖なる存在」であり、「信じる」という心である。何よりもまず信じることのできるものを持つと言うことと、それを信じると言うことである。そして技とは仏教で言うなら、五戒や六徳目のような「生きる指針」である。体とはそれらに基づいた具体的な「実践」「生活」である。

振り返ってみて、今の日本人はいかがであろうか。今の多くの日本人には信仰に基づいた生活は皆無だと思う。しかし「信じる」という心はやはり持っている。今の日本人が信じているものは、選択の自由、表現の自由、個人、権利、民主主義、平等、政教分離、子供の権利といった「近代的(西洋的)価値」である。ただし残念ながら、それらは普遍性、妥当性を帯びた「聖なる存在」ではない。

少なくとも西洋人はそれでいいのであろう。それらの価値は歴史的に「キリスト教」という「思想」に基づく価値から派生した「思想」だからである。それらには彼らの生活にとって、必然的に普遍性、妥当性があるんです。

でも東洋やアフリカ、アメリカ大陸、中東などほかの地域では違う。それぞれの「聖なる存在」に基づいた普遍性、妥当性を帯びた「価値(東洋で言うところの「徳目」)がはぐくまれてきた。たとえば、仏教に六波羅蜜に「忍辱(にんにく)」という徳目がる。我慢する、辛抱する。これは西洋では最も大切な価値の一つとしてはあげられない。

憲法十七条の第一条に「和(やわらぎ)を以(もち)て貴(たっと)しとし、忤(さか)ふること無きを宗とせよ」とありる。人と争わずに和を大切にしなさい。深い相互理解は確かに良いかもしれませんが、時として人を傷つけたり、人格の否定にもつながります。そうなるのなら、ある程度の距離を保ちつつ、調和を重んじる。それは日本的徳目です。人を傷つけまいとする「微笑」はその徳目から来ている日本人の行為ある。

東洋が良くて西洋が悪いという問題ではない。なんでも西洋的価値が良いと思ったら大間違いであるということが言いたいのである。
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by fumonken | 2009-06-01 11:24 | Comments(1)