普門軒の禅寺日記・京都の宿坊・お寺に泊まる

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この国のこころ…宗教とは

宗教とは何か。こういうことをお坊さんのような宗教者が言うのは本当はおかしいことなのかもしれない。宗教者ではなく宗教学者の範囲になります。

宗教とは、まずは、普通の人間の力や自然の力を超えた存在を中心とする観念がある。これを「神秘的な存在」といえる。次にその「神秘的存在を信じる」という人間の観念がある。これを「信仰」と言う。でも神秘的な存在や信仰があれば宗教であるといえない。この条件では、カルトも、自分で思っている個人的価値観も宗教だということになってしまう。

宗教と呼べるには、さらにその「神秘的な存在」や「信仰」を中心にした、教え、儀礼(行為)、施設(建物や道具など)、組織などをそなえた「体系」とあり、それらにもとづく普段の「生活習慣」がある。その上そういった神秘的な存在や信仰、体系、生活習慣が時間的、空間的広がりを要するとということである。つまり多くの人に信仰され、何世代にもわたって信じられ、受け継がれていく。そこに神秘的な存在とその信仰に対して普遍性、妥当性がおびてくるわけである。これがカルトや個人的に信じているという行為や価値観との大きな違いである。
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by fumonken | 2009-05-29 09:39 | Comments(0)

この国のこころ…諭す

最近あまり聞かなくなった言葉に、「諭す(さとす)」という言葉がある。読めない人もいるのではないか。代わって「教える」という言葉は頻繁に使われる。

「諭す」とは、目下の者に物事の道理をよくわかるように話し聞かせるという意味である。一方「教える」とは知識・学問・技能などを相手に身につけさせるよう導くという意味になりますね。「諭す」とは「教える」よりも、内容も、その仕方自体も深さがあります。人間の深さ、人格が必要となってくる。教師と生徒というよりもより深い、師と弟子という関係性が求められてくるわけだ。その関係には弟子の師に対する深い尊敬の念もある。

私は坊主ですから、人々に物事を伝える際は「諭す」という思いで伝えられるようになりたいと思っている。そのため日頃の修行が大切になってくるわけだ。
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by fumonken | 2009-05-24 06:54 | Comments(0)

田植え

先日、友人の田植えの手伝いに行ってきました。京都の北で百姓といいますか、食育と農に生きる生活をしております。そんな彼らですから、田植えといってもコンバインではありません。手植えです。水田の中に入って、手で苗を植えていきます。ちょうど一反分の田んぼです。これで三家族くらいの一年分のお米がとれるそうです。

今年の秋、私の晋山式を行いますので、その時のお料理に今回植えたお米を出そうと思っています。楽しみです。
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by fumonken | 2009-05-23 16:54 | 作務 | Comments(2)

五戒(ごかい)…仏教徒として守るべき戒め

仏教徒は授戒を受けて、戒名をいただきます。それはちょうどキリスト教の洗礼と、クリスチャンネームみたいなものです。ただし、詳しくは知りませんが、洗礼を受けないとクリスチャンネームがもらえないわけではないようです。

五戒は生活の基調といえるでしょう。先日、このブログで書いたように、仏教徒にとって幸福は個人的満足ではあり得ません。人と人との関係において成立します。そんなことを頭に浮かべながら、次の五戒を拝読ください。

不殺生戒(ふせっしょうかい) - 生き物を殺してはいけない。
不偸盗戒(ふちゅうとうかい) - 他人のものを盗んではいけない。
不邪淫戒(ふじゃいんかい) - 自分の妻(または夫)以外と交わってはいけない。
不妄語戒(ふもうごかい) - うそをついてはいけない。
不飲酒戒(ふおんじゅかい) - 酒を飲んではいけない。

それぞれの五戒の四文字の言葉は一般的に上のような内容として言われています。ここに戦前の経本があります。おそらく大正から昭和初期のものだと思います。この経本にも五戒がかかれ、それぞれ以下のように訳されています。私はこれから五戒の内容をこのように伝えていこうと思います。

一、不殺生戒 - ものは生かして使え。
二、不偸盗戒 - 常に公共のことを考えよ。
三、不邪淫戒 - みだらな行いをするな。
四、不妄語戒 - 言行を一致させよ。
五、不飲酒戒 - いつも心を落ち着いて居れ。

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by fumonken | 2009-05-22 14:25 | 禅・仏教について | Comments(1)

戒名とは

仏教において在家の信者が守るべき基本的な五つの戒(いましめ)、五戒(ごかい)があります。この戒めを受けることを授戒(じゅかい)といい、授戒を受けた人間を仏教徒と称します。そしてその証として戒名(かいみょう)が与えられるわけです。戒名は死ぬともらえる名前ではありません。キリスト教徒の多くはクリスチャンネームをもっています。もちろん生前にです。

だからといって、日本人も仏教徒なら生前に戒名を持つべきだとまでは思いません。ただ、自分は仏教徒なんだという自覚はもう少し持ってほしいと思います。その自覚とは、五戒になります。
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by fumonken | 2009-05-21 21:18 | 禅・仏教について | Comments(0)

ブータンの国民総幸福量

ブータンでは、GNP(国民総生産)という尺度で国の発展を計っていません。GNH(国民総幸福量)という尺度を使っています。

仏教の教えで言う幸福とは一人ではありえません。人と人との関係の中においてのみ成立します。現在の欧米的な幸福という見方、個人の財産や利益など生活が豊かになれば幸福である、また人権、自由、権利などの保障、改善されれば幸福に近づくという見方は、仏教的に見れば非常に引く尺度なんです。

財産が多い、人権や自由があると言うことは、他人から見れば得ではありますが、仏教的徳を積んだことには成らないわけです。人と人との関係がよりよくなっていくことこそ、幸福に近づいていく、仏教ではそう考えています。では人権、自由、権利、財産などでななんなのか。それは調和、同情、慈しみ、寛容そして謙虚などです。これらは仏教的に非常に高い徳なわけです。

この日本も七十年近く前まで、確かに仏教という教えに基づく暮らしがありました。それは今のブータンのような国であったということではありません。ブータン仏教ではない、日本仏教という教えに基づく暮らしがあったんです。人々はご先祖様に感謝し、我を滅し他人を思う。この国をもう一度美しい国にもどしたい。
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by fumonken | 2009-05-19 18:51 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

ヒマラヤの仏教王国に思う

私は坊主ですが、一山(いちざん)の住職となっておりますので、今後、なかなか外国へ旅することが難しい立場ではあります。そんな私ですが、死ぬまでに必ず訪れたい国があります。それがヒマラヤの仏教王国、ブータンです。先日、私の知人でブータンに暮らしたことのある方のお話を聞く会がありました。ますますブータンに行きたい気持ちが増しました。

ブータンの人々は仏の教えに従い、慈しみの心を持っていく生きることこそ目指すべき道だと、信じています。私は仏教が暮らしの隅々に生きる国の人々が見たい。その自然、森、川がみたい。歴史、伝統、文化が見たい。仏教の教えが具現化したそのすべてが見たいです。ブータンの人口は六〇万足らず、平均所得は日本の五〇分の一、農業国であり、日本とすべてを比較することは意味がありません。ただ、私は仏教の教えを信じるものとしてとても興味があります。

残念ながら、今の日本人は仏の教えに従って生きている人は数パーセントくらいでしょう。多くの人は仏の教えを信じていないといっても言い過ぎではないでしょう。
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by fumonken | 2009-05-17 20:36 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

宿坊の予約方法

メールまた電話にて、以下の項目をお伝えください。おってこちらより連絡いたします。外国人の方も泊まっていただけます。グループはお断りします。お一人でお越しになり、木、金、土、日のうち2泊または3泊のお泊まりでお願いします。1泊2食で4000円になります
到着は16時から17時の間でお願いいたします。
最長は3泊4日間となっております。18歳以下、60歳以上のご高齢の方はお断りしております。

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メールのタイトルは「宿坊の予約をお願いします」とお書き下さい。

1.お名前
2.住所、電話番号、メール等の連絡先
3.性別
4.年代(10代、20代など)
5.寄宿希望日(2泊または3泊)
6.質問
7.投宿にあたっての思い

連絡先はこちら
TEL 075-463-8474
E-mail fumonken@gmail.com
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ご注意:普門軒の宿坊はほかの宿坊とは違います。ゲストハウスではありません。あくまでのお寺の生活を一緒にしてもらうということを前提としております。そのため、1泊の短い滞在の方は固く固くお断りしております。宿泊施設でなく、お寺に寄宿させていただくという心構えでお越しください。しかし、ほかの宿坊では感じることのできない経験ができると思います。京都には数多くお寺がありますが、帰るときには普門軒を自分のお寺と思ってもらえたら幸いです。
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by fumonken | 2009-05-10 19:14 | 宿坊について | Comments(0)

宿坊について:日課

普門軒の宿坊はいわゆる宿屋ではありません。お寺に寄宿するという心構えでお越しください。

特徴 京都の北部、金閣寺の裏の集落にある小さな小さな禅寺です。「便利」と「都合」を捨てて山門をくぐって下さい。「滅私奉公」をお寺の気風にしております。
お泊まりはお一人で、2泊以上でお願いします。最長は1週間間となっております。予約は少なくとも3日前までにはお願いいたします。お寺で作務着を着ていただきます。作務着はお寺で用意しております。
外国人の方も泊まっていただけますが、日本人、外国人問わず正座のできない方は、申し訳ありませんが、お断りしております。

日課
4:50 起床、朝課、坐禅(2炷)、掃除、粥座(しゅくざ:朝食) ※冬は5:20起床
7:30 茶礼(されい:一服)
9:00 自由時間
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自由時間。9時30分から17時00分までは外出時間です。京都観光でもどうぞ。必ず17時00分までにはお帰りください。日中お寺の手伝いをしたいという方は、午前中のみお願いします。午後は外出してください。その旨を予約の際にお伝え下さい。
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18:00 石薬(やくせき:夕食)、入浴、茶礼
20:05 坐禅(3炷)
21:30 消灯
※消灯時間は厳禁です。歯磨き、トイレ等はすませておいて下さい。
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by fumonken | 2009-05-10 18:37 | 宿坊について | Comments(0)

仏教は死んだか

あなたはキリスト教徒ですか、イスラム教徒ですか、ユダヤ教徒ですか、それとも仏教徒ですか。私はこのブログでも何度か書いたかもしれませんが、在家出身の坊主です。つまりお寺の息子ではありません。普通に社会人もしておりました。縁あって出家して、坊さんになりました。お恥ずかしいことですが、出家して初めて仏教徒という自覚を持ちました。仏教徒は何かを意識するようになりました。

坊さんになった私ですらこのような宗教観ですから、普通の皆さんにとって、宗教は何を信じていますか、聞かれても無神論者ですと答える人が多いのではないでしょうか。現代の日本人がこんな宗教観になってしまった理由は大きく二つあると思います。一つは国の教育方針です。二つ目はそれに伴う宗教者の堕落でしょう。

私はこれらについて考えていくつもりはありません。それよりもむしろ、この現状をどう変えていくかを考えたいです。もちろんもっと日常生活の基盤に仏教が位置づけられていくようにです。戦前まではその基盤が確かにありました。戦後も昭和三〇年代まであったと思います。変えていくかと言うよりもどう戻していくかといった方が良いと思います。これが私の坊主としての生涯のつとめとなります。
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by fumonken | 2009-05-06 10:23 | 禅・仏教について | Comments(0)