普門軒の禅寺日記・京都の宿坊・お寺に泊まる

ブログトップ

<   2009年 04月 ( 7 )   > この月の画像一覧

昭和の日に思う

今から二年前、祝日「みどりの日」は「昭和の日」と改められました。とてもすばらしい改正です。日本史上最も長い元号。昭和という時代はとても重要な時代です。「みどりの日」という名称では、単なる休日です。祝日と祭日は同じですが、祝日はお祝いをする日であって、休む日とはと違います。

今の日本人は日本の国、歴史、文化を自分のことと感じる感覚を失ってしまいました。今の日本人にとって歴史や文化はもはや伝統でないんですね。歴史は過去です。文化は文化財です。伝統としてつながっていないし、受け継がれていません。歴史は単なる過去でしかなく、文化は単なる文化財となってしまった。自分の人生観や生活とは何の関係のないものなんですね。

京都は土地柄、有名な社寺仏閣、歴史的な景観があり、多くの人たちがそれらを見に来ます。でも多くの人にとって、それらは観光目的であって、宗教的意識は皆無に等しい。そこから感じたものを自分の生活に生かしたり、人生観を感じたりすることはないに等しい。それはお寺や神社は単なる文化財としてしか映っていない、伝統的景観も過去の遺物として映っていない証拠でしょう。

それはなぜでしょうか。その理由は伝統に対して敬意を表さない教育を受けているからでしょう。学校教育だけではありません。戦後六十年、学校でも、家庭でも、もちろんお寺や神社でも、そういう教育をしてこなかった。「昭和の日」に伝統教育の必要性を痛感しています。
[PR]
by fumonken | 2009-04-29 21:44 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

もう少し、戦前について

大東亜戦争の映像として、東京の明治神宮外苑競技場で開かれた出陣学徒壮行会の映像がよく流れます。昭和十八年十月のことです。二十歳以上の学生も徴兵の猶予が解かれ、出兵することになったわけです。だいたい大正十二年前後に生まれた人たちです。

今年八十五歳前後の人たちは二十代前半に、八十歳前後の人たちは十代後半に、七十五歳前後の人たちは少年期に、七十歳前後の人たちは幼年期に、それぞれ戦中期を過ごしたわけです。つまり八十歳以下の人たちにとっての戦前とは、戦中になるわけです。

実際、昭和四十年代までは1920年代(大正九年〜昭和四年)生まれの人たちは戦中派と呼ばれていました。これは1947年(昭和二十二年)から1949年(昭和二十四年)生まれの人を団塊の世代と呼ぶのと同じようなものですね。戦中派は今年八十九歳から七十九歳ということですね。

私にはもう一人の祖母が元気に暮らしています。その祖母は大正五年(1916)生まれ、今年九十三歳です。祖母が生きている間は、私はまだ戦前という歴史とつながっています。私にとって祖母は何にも代え難い大切な大切な図書館です。
[PR]
by fumonken | 2009-04-27 08:06 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

戦前は遠くになりにけり

九十五歳で亡くなった祖母は大正二年生まれ。大東亜戦争が始まったときに二十八歳です。これはたびたび思うことなんですが、この世代にとって戦前は戦前であり、戦前とは戦中のことではありません。

私たちが今過ごしている戦後の時代。冷戦期、高度経済成長期、バブル期といったようなある特定の時期がありました。これと同じように戦前の時代にも、文明開化、大正デモクラシーや昭和恐慌といった特定の時期がありました。戦中もその一つなんですね。ですから個人的には戦中と言うよりも、戦中期と呼んだ方がわかりやすいと思います。歴史はいろいろな色でつながっていますが、一色ではありません。戦後の教育が一貫して教えてきた戦前=戦中という一色で染まっているというのは全くの間違いです。これは戦前を過ごしてきた世代と話をしてわかったことです。

ちなみに今年八十歳のお年寄りは昭和四年生まれ。大東亜戦争が始まったときに十一歳、小学五年生です。もう八十歳前後の人にとって戦前は戦中期しか思い出がありません。昭和四十年代、「明治は遠くなりにけり」という言葉が はやったことがあったそうです。平成二十年代、まさに「戦前は遠くなりにけり」となっていきます。
[PR]
by fumonken | 2009-04-26 21:51 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

九十五歳のおばあちゃん、お疲れ様でした

先日、大正二年(1913)生まれの祖母が亡くなりました。九十五歳でした。アフリカのマリという国では、お年寄りが亡くなることは、一つの図書館がなくなることと同じだと言われているそうです。

その通りですね。特に私のような、歴史伝統を大切にするものにとって、お年寄りが亡くなることは歴史が終わるという思いになります。祖父が死んだ悲しみと同時に、あーこれでまた取り戻すことのできない歴史が終わってしまったという思いが強くこみ上げてくるんです。

特に日本のような、戦前と戦後の歴史、伝統、生活習慣などが分断されている国にとって、戦前の生活を知っているお年寄りが亡くなると言うことは、まさに図書館がなくなることといえます。
[PR]
by fumonken | 2009-04-25 21:48 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

さあ、出てきましたよ

今年も出てきました。筍。早めに取り始めないと、去年のようにとりそこなって、たくさん竹になってしまいます。明日から筍掘りの開始です。
c0154437_2281863.jpg

[PR]
by fumonken | 2009-04-16 21:18 | 日課抄・歳時記 | Comments(1)

お客さんが来なくなった日本の家

最近、自宅にお客さんを招いたことがありますか。ここはお寺ですから、お客さんが訪れることがたびたびありますが、月参り以外、お宅に招かれたり、遊びに行くことはあまりありません。ふと思ったのですが、私が小さい頃、もっと家にお客さんがきたように思います。客間というものがあって、週末に親の仕事関係の人や友人など、きていたような気がします。

ファミレスや喫茶店、余暇の使い方が変わって、日本人はより個人化の傾向にあるように思います。その結果でしょうか、都会の家には客間と呼べる空間はなくなり、家自体が個人化してきています。現代の家は無国籍で、非伝統的。もう少し、日本人は歴史、伝統の中に生きていることに気がつくべきでしょう。あなたの家には床の間はありますか。
[PR]
by fumonken | 2009-04-10 09:16 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

普門軒の龍門瀑も完成間近

庭師さんの仕事は終わって、和尚一人でこつこと仕事をしています。今は普門軒の龍門瀑(りゅうもんばく)の完成のために毎日、土をふるいにかけてきれいな土にしてから、それを石組みの周りに振りかけています。さらにとっておいたこけを移植していきます。

一輪車に乗っているのが、ふるいにかけた赤土です。普門軒の土壌は主に赤土です。赤土はコケもつきやすいので、何年か先には一面がコケに埋め尽くされているかもしれません。

下の写真は龍門瀑の石組みにコケとサツキなど低木を移植し、ほぼ完成様子です。
c0154437_22344982.jpg
c0154437_22345810.jpg

[PR]
by fumonken | 2009-04-03 22:35 | 作務 | Comments(1)