普門軒の禅寺日記・京都の宿坊・お寺に泊まる

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滅私奉公

以前にも書いたように、私の中に「日本人になりたい」という強い思いがこの道に進んだすべてです。いま手元に、私が坊さんの道に入った頃の手帳があります。日本とは何なのか、いろいろメモがしてあります。思い出しますね、その頃のことを。私は一つの言葉にであった、その言葉こそ日本人が日本人たる象徴的な言葉だと思ったのを、鮮明に思い出すことができます。

その言葉こそ「滅私奉公」です。私心を捨てて人のために捧げる。「滅私奉公」こそ、坊さんとして生きる俺の座右の銘だと思いました。

でも、いま生きている多くの日本人、もっというと、戦後教育を受けた世代にとって「滅私奉公」という言葉は、暗いイメージ、負のイメージはないでしょうか。この言葉、一度、考え直してみませんか。
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by fumonken | 2009-01-31 14:00 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

この国のこころ…家族

日本人が日本人である理由は家族を大切にする、家族を中心にした生き方かどうかである。生き方とは、家族を中心とした暮らし方、考え方、とらえ方などである。その家族も現在生きている人を対象としたの横の家族関係だけではなく、亡くなった祖先、これから受け継がれる子孫、それらを含めた家族である。私はこれを家族主義と呼びたい。

日本人は名字を先に読み、後に個人の名前を読む。個人よりも家族の一員であることを先とする。私(わたくし)よりも公(おおやけ)を重んじてきた社会制度も、もとは家族主義の延長になります。恥という概念も、迷惑をかけるという感覚も、家族主義の形であるし、仏教の先祖供養、年忌などもそうですし、結婚式も両家の縁談としてとらえられてきた。

それが戦後、近代左翼思想により崩壊した。日本人が日本人でなくなった。
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by fumonken | 2009-01-27 07:40 | Comments(0)

この国のこころ…日本人の私(その四)

私は仏教の道に進んだことによって、揺るがない大きなものに包んでもらえるようになった。なかなかこの心境は筆舌しがたいのだが、こんな話はいかがであろうか。

資本主義、自由主義、人権、サラリーマン、年金といった考え方や生き方は本当に永遠のものとして信じるべききものなのであろうか。実はそうではない。もう少し丁寧な言い方をすれば、まだ永遠に信じるべき、守るべきものなのかどうかは実証されていないというところであろう。

仏教徒として守るべき徳目として六波羅蜜があります。布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧というものがある。これらは少なくとも一〇〇〇年以上にわたって守るべきもとして伝わってきたことであり、それは伝わってきた実績がある。つまりこれからも守っていくべき徳目だと思う。

また日本人として守るできものとして。「家族」、それをふまえた「家族制度」こそ、日本人が守るべきもののひとつだと私は確信しています。「個人」なんてものは信じるに値するものでは全くない。
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by fumonken | 2009-01-23 21:26 | Comments(0)

この国のこころ…日本人の私(その三)

日本人としての暮らし、生き方探しに没頭していた頃、灯台もと暗しといいようか。私は祖父の歴史を聞き語りをした。その詳細は次回に譲るが、私の祖父は禅宗の僧侶であった。祖父の意志を継ぎ、出家することを決断をした。これが私の人生を大きく変えたのはいうまでもない。

「日本人として生きたい」ということから、とうとう「坊主として出家」までたどり着きました。僧侶として生きていく上で、常に「日本人として生きたい」ということは念頭に置いていきました。日本人として生きるということはどういうことかということが、少しずつわかり始めてきた。

日本人として生きるということは「日本人として何を守るのか」ということだと、私は最近つくづく思います。守るとは伝えるということでもあるが、もう少し強い語彙で「守る」という言葉を私は使いたい。その守るべき内容こそ、日本人とは何かということなのである。
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by fumonken | 2009-01-22 22:06 | Comments(0)

とてもとても有り難いもの

私の出身地、三河(愛知県東部)地方では、家から坊さんが出ると、その出家者のために衣(ころも:法衣)を仕立てます。ここまではほかの地方でもあると思います。三河地方では、その衣の生地を家の者が糸を結ぶのです。つまり糸屋から買ってきた絹や綿の糸を一つ一つ結びます。糸の長さは一〇センチのものもあれば、二〇センチのものもあればいろいろあります。それを長い糸にするわけです。それを染め屋に持って行き、糸を染めてもらいます。次に折り屋で反物にしてもらいます。そして衣に仕立ててもらいます。

私が出家をきめて実家でそのことを告げにいき、おじいちゃん、おばあちゃんにもそのことを告げました。私が僧堂に言っている間、九〇歳をこえた私のおばあちゃんは、反物を作るため、絹の糸を一つ一つ結んでくれていたんです。私が僧堂の休みの折、実家へ帰ったとき、おばあちゃんが「これは内緒だよ。あんたのために、反物の糸結んでるんだよ」と、押し入れにしまってある十五センチくらいの真っ白な絹糸の玉と、まだ結ばれていない、袋に入った絹糸を見せてくれました。その感動は筆舌しがたいです。何で内緒かというと、実はおばあちゃんが糸をむすんでいるのをしった私の母も途中から、また父も一緒に結んでいたそうです。それを三人で私には内緒にしておくことになっていたそうです。

その糸が今反物になりました。今回正月に帰郷の際に、その反物を見せてくれました。次はそれが衣と袈裟になります。その衣と袈裟を着て、この秋、晋山式を行うつもりです。私は本当に幸せです。
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by fumonken | 2009-01-19 18:50 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

キムチを漬けました

正月、実家に帰った際に親戚からたくさん野菜をいただいたので、漬け物を漬けました。年末にはたくわん、白菜漬けをしたので、今回はキムチを漬けました。

ニンニク、にんじん、唐辛子、ネギなどをまぜて、白菜を五玉分つけました。二ヶ月ほどでたべられるようです。楽しみ楽しみ。
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by fumonken | 2009-01-18 18:18 | 作務 | Comments(0)

シキミをご用意しました

お伝えするのが遅れてしまいましたが、今年のお正月から、お墓参りに方へシキミを用意しました。二束で五〇〇円です。まだ 皆さんにはお伝えしていなかったので、二束しか売れませんでした。春秋のお彼岸、お盆、そしてお正月の時期だけシキミを用意しようと思います。もしよろしければどうぞ。
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by fumonken | 2009-01-16 22:00 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

この国のこころ…日本人の私(その二)

幕末の偉人に佐久間象山先生がいる。十代は家族のことを考えろ、二十代は故郷のことを考えろ、三十代は国のことを考えろ、四十代は世界のことを考えろとおっしゃったといわれている。現代の日本は十代でも四十代でも六十代でも、自分のことだけ考えろという感じであろう。

二十代に入り、私の日本人として目覚めをさらに強いものになっていきた。「俺だけでも日本人になりたい」そんなふうに思っていた。古い家に住み、着物を着、古い生活道具に囲まれて、お年寄りからいろいろ話を聞いて、古い映画や民謡などを聴く生活を過ごすうちに、少しずつ「日本人の形」が見え始めていたつもりでいた。

でもそれは、生活という一本の線では結ばれていない。それは断絶されている体験でしかありませんでした。出家するひとつに理由はそこにある。
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by fumonken | 2009-01-14 21:19 | Comments(0)

この国のこころ…日本人の私(その一)

私がこの道に進んだ目的は「日本人として生きたい」ということであった。残念ながら私も戦後教育を受けた世代である。日本人として生きることを教えられていない世代である。日本人である前に、一人の人間、個人として、そして国境を越えた世界市民として生きるべきと教えられた世代である。自由、人権、民主主義、平和主義こそ正しい考え方だと思ってきた。思ってきたというよりも疑心すら抱きませんでした。そして戦前の日本は間違っていた、悪いことをしてきたと信じていた。

私は二十代後半から急激に日本人として生きることに意識し始めた。日本人として生きることということは、日本と何なのかを探すことでもあった。「日本とは何なのか」。日本論、日本人論いろいろ書籍を読み、いろいろな映画やビデオを見た。祖父を始め、お年寄りに戦前のお話を聞いたりした。そして古い家を借り、着物を着、文字通り衣食住を日本人らしいものに切り替えていった。それがジャパニーズであった私の日本人として黎明期である。
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by fumonken | 2009-01-13 21:49 | Comments(0)

お札配り

お札配りとは、正月一日から三日の間行われる大般若の行事の際に祈祷されたお札を檀信徒の各家々にお配りするという風習です。つまり正月三日間は檀信徒がお寺に年賀の挨拶に出かけ、その返礼として正月四日に、和尚がお札を持って各家々を回るというものです。よって、本来、和尚は正月とお盆に年二回、各家を回っていたわけです。多生地方によって、宗派によっては違いはありますが、これが古来からの日本の風習としてありました。

一月四日は官公庁の御用始め、証券取引所の大発会、鏡開きなど、現在でも仕事始めの日として受け継がれてきております。

とはいうものの、正月四日といえばまだまだあわただしい日ではありますので、普門軒ではもう少し遅い、九日、十日をお札配りの日として各檀信徒の方々に正月のご挨拶に回ることにしました。

ちなみに般若札は玄関など人の出入りする場所にお祀り(張る)します。お札が家内を見渡し、お札の下を行き来する人々の、大魔を払ってくださいます。そして新しい正月、お寺に年賀の挨拶に出かけた際、古いお札をお寺に納めるんです。そして三が日明け、和尚さんがお札を持って皆さんのところに挨拶に来てくれる、そういうことになるんです。どうぞ皆さん、来年からは伝統的なお正月を迎えてみてはどうでしょうか。
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by fumonken | 2009-01-12 20:22 | 日課抄・歳時記 | Comments(1)