普門軒の禅寺日記・京都の宿坊・お寺に泊まる

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今年もおかげさまで無事過ごせました

平成二十年も今日で最後です。皆様におかれましては、どんな年であったでしょうか。今日は雲ヶ畑の友人と、お隣のおじいちゃん、おばあちゃんと朝から餅つきでした。餅つきの後はおばあちゃんの手作りのお料理。その後は今夜の年越しそばを打ちました。そば粉は広島の百姓の連れがこしらえたものです。先ほど、年越しそばを創って食べました。具には三日三晩炊いたあまーいおあげさんをのせていただきました。大晦日もとてもよい時を過ごせました。
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by fumonken | 2008-12-31 20:33 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

仏前結婚式を行いました

昨日、二十七日、普門軒では慶事がありました。仏前結婚式です。私にとって最も大切な友人の一人の結婚式を挙行させていただきました。式の法は、伝統的な作法に則り、行われました。

式の後は餅つきをしました。その後には本堂で宴会です。彼らのおかげで、参列者の方も、丸一日、お寺という空間で楽しんでくれたことと思います。お寺に対する意識も少しは変わってくれたことと思います。

之までいろいろ私を支えてくれた彼らに、ほんの少し、恩返しができたことと思います。
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by fumonken | 2008-12-28 23:20 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

川の流れのように

「ああ川の流れのように とめどなく空が黄昏に染まるだけ」

美空ひばりさんの曲に「川の流れのように」があります。皆さんもよくご存じだと思います。私もご多分に漏れず、この曲が大好きです。この歳にしてみて、改めて聞くとその歌詞の内容に惹かれます。とくにサビの歌詞は日本人特有の情緒だと思いませんか。歌詞の内容自体、禅の境地を感じさせます。私はこの川は、ミシシッピ川やナイル川のように大河ではなく、河口付近の大きな川でも無いと思います。身近にある小さな川。ふるさとに残る川。そんな川だと思います。

知らず知らず歩いてきた細く長いこの道
振り返れば遥か遠く故郷が見える
でこぼこ道や曲がりくねった道
地図さえないそれもまた人生
ああ川の流れのように
ゆるやかにいくつも時代は過ぎて
ああ川の流れのように
とめどなく空が黄昏に染まるだけ

生きることは旅すること終わりのないこの道
愛する人そばに連れて夢探しながら
雨に降られてぬかるんだ道でも
いつかはまた晴れる日が来るから
ああ川の流れのように
おだやかにこの身をまかせていたい
ああ川の流れのように
移り行く季節雪どけを待ちながら

ああ川の流れのように
おだやかにこの身をまかせていたい
ああ川の流れのように
いつまでも青いせせらぎを聞きながら

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by fumonken | 2008-12-19 21:17 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

最近うれしいことがありました

普門軒のある地域は比較的新しい地域です。普門軒自体は昭和五年に移築されていますが、周りは何にも無い状態でした。戦後、開発が進み、家並みが増えていったと言います。つまり戦前の日本の伝統的集落とは違い、伝統的な顔は少なく、地域住民の交わりは少なく、私のような田舎育ちの者にとっては少々寂しい地域です。

そんな中、近くに住む方に家庭菜園をされているお年寄りがいらっしゃって、声をかけました。その日からその方と懇意にさせてもらっています。畑のことや、戦前の話や生き様や教育のことなどいろいろお話をしていただいています。

私にとっては三人目のおじいちゃんです。これからいろいろお世話になります。
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by fumonken | 2008-12-17 18:53 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

ありがとう

ありがとう。私はいつも買い物に行ったときに思うことがあります。レジでのことです。レジの店員さんが「お買い上げありがとうございました」などといいます。それに対して、ほとんどの人が「……」。何も言いません。携帯電話をしている者さえいる。

どうしてこういう国民になってしまったのでしょうか。理由いろいろあると思いますが、理由を云々言うよりも、今日から皆さんレジでは「ありがとう」と言い始めましょう。
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by fumonken | 2008-12-13 18:33 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

少しずつ、少しずつ

先日、檀家さんより手作りのお餅をいただきました。この檀家さんは私にとって特別な檀家さん。私が普門軒に入寺して、初めてお墓参りに来られた檀家さんです。私は初めてのお墓まりの方だったということもあり、声をかけました。すると、そのおばあちゃんは、すでに八〇歳を超えていますが、これまでも、一時間以上時間をかけて、毎月、毎月お参りに来られているといいます。私はお墓でお経を一緒に読ませてもらいました。それ以来、私のいるときは必ずお経を読ませてもらっています。

そのおばあちゃんとは親しくさせてもらうことになっていきます。そのおばあちゃんから、先日、お墓参りの時、お餅をいただきました。お手製のよもぎ餅です。亡くなられたおじいちゃんが好きなよもぎ餅。おばんちゃん得意のよもぎ餅です。こんなにうれしいことはありません。早速、火鉢で焼いていただきました。

少しずつ、少しずつですが、、坊さんらしく成っていければと思います。おばあちゃんいつまでも、長生きしてください。

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by fumonken | 2008-12-10 19:46 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

畑大崩壊!

臘八があけて畑に目を向けると、ひと畝を残し、すべて崩壊。犯人は鶏たちです。ビニルでトンネルを造っておいたのですが、その隙間から侵入して、大きくなりつつあった野菜を、文字通り根こそぎ食べられてしまいました。まいったまいった。高い卵になりました。
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by fumonken | 2008-12-09 19:21 | 作務 | Comments(0)

成道会(じょうどうえ)

成道会(じょうどうえ)とは、十二月八日、お釈迦様の成道(悟りを開いた事)を記念して行われる法要(行事)のことです。

一週間に及ぶ臘八接心(ろうはつせっしん)が今日、十二月八日の0時過ぎに終わりました。十二月一日から師匠の寺で行われた臘八接心に参加していました。師匠、お弟子さん、そして在家の方を含めまして、約二十人くらいの参加者のもと開かれました。

朝は四時半から朝課、五時半から七時まで坐禅、朝食、掃除の後、師匠の講話の時間、さらに十時から十二時まで坐禅、そして昼食。午後は一時半から四時まで坐禅、五時半から晩課、六時から八時半まで坐禅、夜食のうどん。さらに九時から十一時まで坐禅(最終日の七日は夜十二時まで)。もちろん僧堂(専門道場)にくらべれば、厳しくはないですが、一般寺院でここまでの臘八接心をしているのは珍しい方だと思います。

とにかく一週間無事終了しました。今年は最終日こそ寒かったのですが、全般的に暖かい臘八接心だったのですが、やはり足がとてつもなくいたいです。
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by fumonken | 2008-12-08 00:32 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

臘八示衆【七日夜】

【第七夜】
第七夜示衆に曰く、一子出家すれば九族天に生ずと。夫れ出家は、須く真の出家を要すべし。所謂真の出家とは大誓願を奮起し、勇猛精進にして直に命根を断ずれば豁然として法性現前す。是を真の出家と謂う。九族生天も亦真実にして虚しからず。昔播州に一人の女人あり。懐胎の夜に当たって自ら願を発して曰く、此の兒若し男子ならば必ず当に出家せしむべし。其の夜夢に一の老人有り。来り告げて曰く、吾は此の家九代以前の祖なり。死して冥府に堕して無量の苦を受く。而今汝が勝願力に依恃して永く地獄の苦を脱するを得たり。又甲州に良山和尚という者あり。徒を匡し衆を領ず。臘八例によって衆を禅坐す。一夜其の亡母刀を携え来たって直に腋下を刺す。大いに叫ぶこと一声、血を吐いて悶絶す。山、良久して蘇る。次の日俄かに衆と別れて行脚す。一鉢三衣、風喰露宿。師を尋ね道を訪い年を経て禅定頗る熟す。三昧に入らんと欲す時に亡母復来り現ず。わずかに眼を挙すれば即ち隠れ去る。他日深く三昧に入る。あたかも海の湛然たるが如し。亡母来り復告げて曰く、吾始め冥府に入る。鬼卒皆敬して曰く、是れ出家の母なりと。都て苦悩なし。豈思わんや、公の壮なるに及んで獄卒皆曰う。将に謂えり。是れ出家の母なりと。却て是れ俗漢の母なりと。鉄棒鉄枷、呵責言うべからず。其の恨骨に徹す。是の故に先の夜来って汝を刺す。然して汝悔て寺を出でて行脚す。中ごろ来って公を見るに消滅の念猶未だ尽きず。故に隠れ去る。今、定慧殆んど明らかなり。吾が苦患亦尽きたり。特に天上に生ずることを得たり。故に来て謝を告ぐるのみと。茲を以て之を観れば汝等咸く皆父母有り。兄弟有り。眷属有り。生生を持って之を数えば則ち豈惟千万人のみならんや。悉く皆六道に輪廻して無量の苦を受く。汝等が成道を待つことは猶、大旱に雲霓を望むが如くならん。如何んぞ悠々として坐ながら之を見て大願を発せざらん。光陰惜むべし。時人を待たず。勉旃勉旃。

【現代語訳】
第七日目の夜、大衆に示して言われるのには、一人が出家し仏門に入れば九族(高祖父・曽祖父・祖父・父母・子供・孫・曾孫・玄孫)は天上界に生まれることができる、と。しかし、出家といっても真の出家でなければならない。すなわち、四弘の誓願を奮い起こし、勇猛果敢に精進し妄想煩悩を払って三昧を深めていくならば、迷いがからりと晴れて本来の自己(無相の自己・空・無・自他一如)が現われるのである。これを真の出家というのである。「九族天に生ず」とは本当のことであり、決して作り話ではないのである。

昔、播州にある女性がいた。子供を授かるに当たり「もし、男の子だったならば、出家させてください」と祈願した。その夜、夢に一人の老人が現われ、次のように言われた「私はこの家の九代以前の先祖である。死んで冥府(地獄)に入っていいようの無い苦しみを受けてきた。しかし今、あなたが祈願してくれたお蔭で長い間の地獄の苦しみを脱することができたのだ」と。
また、甲州に良山和尚という人がいて寺で弟子をとって学問の指導をしていた。臘八になったので弟子たちと坐禅をした。すると夜になって、亡くなった母の霊が刀を携えて脇腹を刺した。「ギャッ!」と叫んで血を吐いて悶絶してしまったが、しばらくして蘇生した。次の日、突然思うところあって、弟子たちに別れを告げ、寺を出て行脚に出かけた。最低の所持品のみで、野宿をしながらあちらこちらと師匠を探し、道を尋ね年月を重ねるうちに禅定(三昧力)が非常に深くなってきた。あるとき、坐禅をしようとすると亡くなった母がスーッと現われてきた。よく見ようと少し眼を上げるとすぐに隠れてしまった。
その後、坐禅をしてちょうど波ひとつ無い海のように深く三昧に入った。するとまた、亡くなった母が現れて次のように言った「私が始め地獄に入った時は、鬼たちがこの人は出家の母であると尊敬し、何の苦しみもなかった。だのに、あなたが壮年になってからは、真の出家でなかったために却って俗物の母であるといわれ、様々な拷問を受けてきた。その苦しみは言い尽くすことのできないものであった。それで、以前夜になってわき腹を刺したのだ。しかし、あなたは気づくところあって寺を出て行脚に出かけた。先ごろ来てみると、あなたは思慮分別心がまだまだ無くなってはいなかった。それで隠れたのだ。今、あなたは禅定を深め智慧を発露して真の出家となってくれた。それで、私の苦しみも無くなり天上界に行くことができた。それで、お礼を言いに来たのである」と。

誰にでも両親や兄弟や親戚がいるが、これを数えると大変な人数になる。それらの人々は、天上・人間・修羅・畜生・餓鬼・地獄の六道を輪廻して苦しんでいるのだ。ここにいる修行者それぞれが成仏得道し、真の出家となることを、皆待ち望んでいるのである。どうして心の底から願心を起さないのだ。月日の去るのはアッという間である。時間は待ってくれはしないのだ。さあ、しっかりしっかり。
参考文献 山本玄峰著『無門関提唱』大法輪閣
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by fumonken | 2008-12-07 07:47 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

臘八示衆【六日夜】

【第六夜】
第六夜示衆に曰く、(時に侍者茶を行ず)。建仁開山千光祖師入宋の時、偶々暑に中ってを患う。一老翁あり。為に茶を飲ましむ。速やかに治す。因って茶の実を齎し来て禁庭に聴して之を宇治県に植えしむ。又明恵上人に贈る。上人亦之を栂尾に種ゆ。故に千光明恵を以て茶の祖と為す。夫れ茶の能たる苦を以て體と為す。故に能く心の臓を養う。心の臓治するときは四臓自ら平らかなり。明恵上人曰く、茶は能く睡眠を除く。修道の人喫すべきものなりと。又外に之を論ずれば、心の臓を養うに苦修を第一となす。専ら精細を著けて苦修骨に徹するときは則ち神気朗然たり。故に慈明曰く、古人の刻苦なる光明必ず盛大なりと。禅関策進に曰く、心を役して已まざれば果證を得と。果證とは決定の義なり。是の故に汝等宜しく苦修を貴ぶべし。近頃奥州に文溟和尚という者あり。予に見えんと欲して百計すること六年、遂に来て掛搭を求む。予が曰く、縦い賜紫の大和尚なるも、法眼未だ明らかならざれば、予に於いては小僧たるのみ。呵罵すれども猶足らず。若し身に世儀を存し、意に尊大を抱かば、予に見えて何の益かあらん。曰く某、誠に大法の為に乍入叢林の一沙彌なり。請う和尚慈悲を惜しまず接得せよ。喝雷棒雨、豈敢て命を惜まんや。因て入室を許す。一夏九旬の間、刻苦精錬予が手中の棒を喫する事挙げて計うべからず。果して我宗向上の大事を契證す。行くに臨んで長く弟子の禮を取らん事を約す。然れば則ち、勇猛の一機、竟に法成就に至る。慎まざるべけんや。

【現代語訳】
第六目の夜、大衆に示して言われるのには(その時侍者が茶を運んできた)、京都・建仁寺の開山千光国師・栄西禅師が宋に入った時、たまたま暑さにあたって胆のう炎を患った。ある老人が茶を飲ませたところ、すぐに治ってしまった。そのようなことから、宋の国から茶の実を持ってきて、宮中に献じて宇治に植えてもらったのである。また、師匠の明恵上人に贈ったところ、上人はそれを栂尾に植えた。それで、栄西禅師と明恵上人を茶の祖としている。茶の効能は苦味にある。それが心臓を良く調え養うのである。心臓の調子が良い時は自然と四臓(腎臓・肝臓・すい臓・脾臓)も調子が良い。明恵上人は「茶は眠気を取るので、修行者は茶を飲んでしっかり修行するが良い」といわれた。
また、心臓を養うには苦修(工夫努力して修行すること)が第一である。専一に精彩をつけて苦修に徹するならば自然に心はスッキリと澄み透ってくる。慈明和尚は「古人の刻苦なる、光明必ず盛大なり(古人は刻苦すれば、必ず光明の結果が大きく現われてくる)」といわれた。また、禅関策進には「心を使って休むことがなければ果證を得る(修行すればそれに対する成果が現われる)」とある。それで、修行者は苦修を心がけていくことが大切なのである。

最近、奥州に文溟和尚という人がいて、私(白隠)の下で修行したいと6年間思い悩んだ末に掛搭(入門)を願い出た。私(白隠)は次のように言った。「世間的には紫衣の大和尚であったとしても、見性して法に対する眼がハッキリとしていなければただの小僧に過ぎない。大声で罵倒されても仕方がないのだ。もし、世間的な地位や名誉心があって純粋になれず、尊大な気持を抱くことがあるならば修行しても何の意味も無い」と。文溟和尚は「私は大法のために道場に入門する小僧であります。どうぞ、慈悲を惜しまないでご指導ください。どんなに怒鳴りあげられ、雨のように棒で叩かれようとも命がけで修行に専念いたします」とこたえた。それで、入室参禅を許したのである。
一夏九十日の間、刻苦練磨して怒鳴られても、叩かれても参禅を繰り返した。ついに、大悟徹底し宗旨の真髄を究めたのである。帰るに当たって、文溟和尚はこれからも弟子の礼を取ることを約束したのであった。このようにして、勇猛の一機があれば必ず仏法は成就できるのである。さあ、気を引き締めていけ。
参考文献 山本玄峰著『無門関提唱』大法輪閣
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by fumonken | 2008-12-06 07:40 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)