普門軒の禅寺日記・京都の宿坊・お寺に泊まる

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土管の中身

若い人も土管という言葉は聞いたことがあると思います。古い家の排水の配管の多くは土管です。読んで字のごとく陶器でできた管です。陶器ですから、現代のパイプのように長いものはつくれません。つまり一メートル足らずの土管がつなぎ合わせて長い管になるわけです。でもつなぎ目にはボンドのような接着剤を使うわけでありません。そのつなぎ合わせの部分から木の根が入りこみ、そのうち木の根が土管の中にいっぱいになって、詰まるわけです。それが写真の左のような筒になっているわけです。

だから古い家に住むと、その土管をいつかパイプに変えていかないと、いけないことになるわけですね。これから大変でぞ。
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by fumonken | 2008-06-30 21:17 | 作務 | Comments(0)

ジャガイモ収穫

三月に植えたジャガイモを収穫しました。うーむ、大収穫という感じではありません。葉は生い茂っていたのですが、これはまだまだという感じでした。秋にもジャガイモを再度、植えるので今度こそ、たくさん収穫できるように工夫したいと思います。
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by fumonken | 2008-06-29 17:16 | 作務 | Comments(0)

坪庭改修完成

本堂と庫裏の間にある坪庭の拡張が終わり、ついでつくばいも作ってもらいました。雨水の配管をなおしたのと同時に、そこにつくばいを作ってもらいました。これまで残念ながら、普門軒にはつくばい、手水鉢がありませんでした。今回、つくばいを作ってもらい、これでまた禅寺らしくなってきました。

つくばいとは、漢字では蹲踞、蹲と書きます。つくばいとは日本庭園にある装置の一つです。特に茶庭(露地)に設置されます。茶室に入る前に、手を洗う(清める)ために置かれた背の低い手水鉢を中心にいろいろな石や植栽でつくったものです。「つくばう(しゃがむ)」ことからその名がついたといわれています。

写真は上からもともとの排水溝。これはレンガと土管で造られていました。土管には木の根っこで詰まっていて水は流れていませんでした。それを写真の通り、排水溝と排水管をパイプに改めました。そして庭師さんが持ってきてくれた手水鉢と石を配置し、最後の写真の通り、つくばいになりました。このあとは私の方で植栽や石をきれいにまとめていこうと思っています。
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by fumonken | 2008-06-27 21:46 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

念願の囲炉裏部屋へ

実は普門軒の本山である富山県高岡にある国泰寺より、自松(国産の松)の床板をいただきました。これをどう使おうかと懇意の工務店さんに相談させてもらいました。「それなら、おっさん(禅宗和尚の呼び名)の造りたかった囲炉裏の部家の床板にしたらいい」ということで、トントン拍子に囲炉裏製作へと話が進んでいきました。自松のとてもよい板だと職人さんも太鼓判の材です。

職人さんもいろいろ調べてくれたり、相談にも持ってくれます。どんなふうに成るんでしょうか。たのしみです。檀家さんや信者さんにも気軽によって頂けるくん観になればと思います。

私が入寺した当初、この格子の間には絨毯が引いてあり、格子にはカーテンが掛かり、籐のソファーと机がありました。これらを撤去して、畳の間に戻しました。それが下の写真です。その畳の間が、今度板の間になり、囲炉裏の部家になるわけです。これから普門軒の改修日記として、入寺した当初のお寺がどんなふうに日本の部家に戻っていったのか、その変遷をまた書いていこうと思います。
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by fumonken | 2008-06-25 11:29 | 作務 | Comments(0)

「とにかく、もうけたかった」

こういっては言い過ぎなのかもしれませんが、今の五十代、四十代にはモラルの低く、品格の低さ、人間味の小ささを感じます。

食品偽装が相次いでいる。ほとんどの被告人は五十代、四十代。今回つかまった鹿児島の業者の一言「とにかく、もうけたかった」。「おまえ、もっと大切なことがあるだろう」と小学生にでも諭すかの声をかけないといけないのか。大阪の橋下知事の下、大阪府庁の職員のみなさんががんばっている中、四十六歳以上の職員が「給料が下がって士気が下がった」などといったとか。「おい、それでも公僕か」。この世代の子供たちと言えば、決まった仲間としか交流しなかったり、ろくにあいさつもできない子供たち。つまり人間の基本的なモラルを教わっていない子供たち。その親たちは五十代、四十代で、しかもモンスターピアレント世代でもある。秋葉原の事件の親もこの世代ではないだろうか。

五十代、四十代世代。小学生時代は昭和三十年代から四十年代で日本の高度経済成長時代。学生時代は昭和四十年代から五十年代で学生紛争も下火になり、ノンポリ世代。働き始めて二十代はバブル時代。集団就職も、学生紛争も前の世代の話である。日本的価値観、家族観が崩れて、「新しい価値観」という「実は何もなかった価値観」の元で育っていた初めての世代といえないだろうか。誤解を恐れずに言うと求めるものはそんなに苦労せず手に入り、無難なく育ってこれた世代。だから人間的に弱さを持った世代だと思う。それがモラルの低さ、品格の低さ、人間味の小ささ、自己中心性、自分勝手自由主義の上にたった人間性。

その犯す犯罪の理由も「とにかく、もうけたかった」とか、貧困からではなく、単なる欲である。府庁の職員も言い分も、自分の生活が一番という思想からであろう。とにかくせこい。今はやっている映画「三丁目の夕日」の子供たちが大人になると、実はこうなってしまうのかと思うと、悲しみを覚えてしまう。今日は誤解を恐れず一般論として書かせてもらいました。
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by fumonken | 2008-06-24 22:02 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

よーく採れます

モロッコいんげん、キュウリ、ブロッコリー。よーく採れています。
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by fumonken | 2008-06-23 21:17 | 作務 | Comments(0)

坪庭拡張

普門軒には本堂と庫裏の間に坪庭があります。今、その坪庭を庭師さんに拡張してもらっています。犬走りといって建物の縁をコンクリートや石などで囲んでいます。その幅が少し大きいので、その分、坪庭の幅が狭かったので、何かバランスの悪い坪庭でした。

今は苔とシホウチクのシンプルな庭ですが、モミジを一本植えようかと思っています。

それにしても職人さん、上手に仕事をします。
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by fumonken | 2008-06-22 21:32 | 作務 | Comments(0)

今日はいいお話しを伺いました

いつもお世話になっている工務店さんに、京町家で京扇子のお店を営む方を紹介して頂きました。昭和初期の京町家を最近改修し、是非見てほしいということで紹介して頂きました。突然お伺いしたのですが、こころよくお店をご案内してくださいました。一言で言えば、施主の方の思いと、職人の技が見事に一致した町家だなーとうれしく思いました。これはとても重要です。施主の思いがあっても、技や知識のない職人に仕事を頼むと、その思いは形作られません。職人に技があっても、素主にその思いがなければ同様の結果です。今日、私がご紹介して頂いた町家の改修はその両者が一致した幸せな町家だなーっと本当に思いました。うれしいことです。

日本ははやく伝統を重んじる国に国替えしないといけません。でないとこの国はビルだらけの無国籍な国になってしまいます。施主と職人の思いの一致とは、ようするに「伝統を重んじる」と言う思います。伝統とは難しいことではなく、おじいちゃん、おばあちゃん、ご先祖さんへの思い。地域のお祭り、風習への思い。それを受け継いでいきたいという「思い」なんです。これが伝統の意味です。

考えてみてください。今の小学生は着物を普段着で着ている大人を見たことのない子供たちばかりです。畳のある家で暮らしたことのない子供たちばかりです。このままでは日本は日本でなくなってしまうのでしょう。もう伝統を受け継ぐ限界の次期に来ています。そんな中で一人でも多くの伝統を大切にする日本人に出会うと本当にうれしく思います。お店、紹介させて頂きます。

京扇子 大西常商店
URL http://www.ohnishitune.com/
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by fumonken | 2008-06-21 18:14 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

祝! 原油高騰

私は原油高騰、ガソリンの高騰について、はっきり申し上げまして歓迎しています。一連のニュースを見ていると、多くの人が車での移動を控えるという意識の変化、行動の変化に向かっています。これは非常に歓迎することです。

理由はズバリ日本人のライフスタイの変化につながるからです。特に車は「個人」「自由」という思想を具現化したものだと思います。電車やバスは時刻表で動いています。駅にしか泊まりません。何より公共のマナーが必要です。

自分の好きな場所に、好きな時間に行くことができる。ゴミを他ってしまう人、排気ガスを出していることの実感もわきません。

これを機に車を使うこと言うことを控えていく、車だけに頼らない交通、しいては生活を考え直さなくては成りません。その意味でショック療法ではあるけど、石油、ガソリンの高騰はとても歓迎すべきことです。でも料金が上がったら車との関係を見なさざるを得ない現代の日本人のモラルの低下を見過ごすこともできませんね。
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by fumonken | 2008-06-19 14:36 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

この国のこころ…中世の無常観

「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。たけき者もついには滅びぬ。偏に風の前の塵に同じ」…『平家物語』

「つれづれなるまゝに、日暮らし、硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ」…吉田兼好『徒然草』

「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例なし」…鴨長明『方丈記』

日本の中世を代表する文学には仏教的「無常観」をぬきに語ることはできない。「花」といえばサクラ。いまなお日本人が桜を愛してやまないのは、そこに常なき様、無常を感じるからである。逆に西洋人は「永遠なるもの」「華麗なるもの」「強いもの」を求め、そこに美を感じ取るようである。「無常」「無常観」は、中世以来長い間培ってきた日本人の美意識の特徴の一つと言ってよかろう。ちなみに「清潔」という言葉がある。「清い」は「きよい」と読みますね。それでは「潔い」は? 「いさぎよい」と読む。日本人は清く潔いことを清潔ととらえるわけである。
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by fumonken | 2008-06-18 21:44 | Comments(0)