普門軒の禅寺日記・京都の宿坊・お寺に泊まる

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カテゴリ:日課抄・歳時記( 436 )

「持っている」

英語で「have」と言えば、「持つ」である。「持つ」と言うことは、何かを所有するという意味である。

しかし、英語のhaveには「所有する」という意味だけではない。

たとえば、関係性を表す場合、
They have two children. 彼らには2人の子供がいる。

身体部分・身体特徴・特質・能力などを表す場合、
I have a sweet voice. 私は美しい声をしている。

感情を表す場合、
I have a grudge against him. 私は彼に恨みがある。

病気などにかかっている場合、
I have a cold. かぜをひいている。

「所有」と言うことは、自分ではないものを所有すると日本語では考える。たとえば、
She has a sweet voice. 彼女は美しい声をしている。声は私自身なのか。恨みという感情は私自身なのか、かぜは私自身なのか。それとも私とは違うものなのか。
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by fumonken | 2015-02-03 21:07 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

薩摩の男の子

先日、『翔ぶが如く』を見ていたら、

「薩摩ン子ばなー、人に引けをばとんな、うそをつくな、不作法すんな、親に口答えば許さんち育てるのが、女親のつとめでごわんど。あんたの男ン子ば産んだら、心を鬼にして強か母親になってくいやらんとな。」

こんな台詞があった。いつの時代にも必要だなと思った。
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by fumonken | 2015-01-26 20:45 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

虚しい道

私は得度(出家)して、名をいただいた。「虚道」(きどう)と言う。普門軒の住職についてから、家庭裁判所に行って、戸籍上の名前の変更をした。

虚しい道という。今年4月で43歳になるが、この年になってようやく、己の人生に対して、素直に虚しさを感じるようになれた。己の人生だけではなく、この世の中に対しても虚しさを感じられる。この世は虚しいものだ。

あー、ありがたい。
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by fumonken | 2015-01-08 15:49 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

「今年の漢字」

1年の世相を表す「今年の漢字」に、『税』がが選ばれた。消費税率が17年ぶりに引き上げられたこと、10%の引き上げが議論されたこと主な理由らしい。

『税』であるが、「禾」は、いね。わら。また、穀物の総称を表す。また「兌」は神の言葉を説き分ける人の意味であったらしい。「兌」は喜ぶ。通ずる。とける。あつまるなどの意味がある。

鋭い。説く。悦ぶ。閲っする、蛻(もぬ)ける、脱っするなど「兌」の字を用いる。
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by fumonken | 2014-12-12 17:20 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

干支の漢字はなぜ?

来年の干支は羊だが、漢字で書くときは「未」と書く。干支の漢字はなぜ普段の動物の漢字と違うのか。十二支は、もともと農業暦であり、農業用語であったそうだ。

1月「子」とは、「増える」という意味。草木は子孫を増やそうと成長しはじめる種子の時期。
2月「丑」とは、「曲がる」「ねじる」の意味。草木の種は芽が出始め、地上に出ていない時期。
3月「寅」とは、「伸び上がる」という意味。草木は少しずつ成長していく時期。
4月「卯」とは、「さかんに茂る」という意味。蒔いた草木は若葉として茂っていく時期。
5月「辰」とは、「動いて伸びる」「整う」という意味。草木がことごとく震い動いて伸びていく時期。
6月「巳」とは、「子宮が胎児をつつむ」という意味。草木に種子ができはじめる時期。
7月「午」とは、「上下が交差する」という意味。草木の成長期から衰退期に交差する時期。
8月「未」とは、「まだ」という意味。草木の果実に味が生じ始めた時期。
9月「申」とは、「手を伸ばす」という意味。草木が伸びきり、草木の果実が成熟して堅くなっていく時期。
10月「酉」とは、「口の細い酒つぼ」の意味。草木の果実が成熟する収穫し、作物から酒を抽出する時期。
11月「戌」とは、「滅びる」という意味。草木が再び枯れはじめる時期。
12月「亥」とは、「とざす」の意味。新たな生命「子」が宿り閉じ込められている時期。

非常に興味深い。
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by fumonken | 2014-12-10 13:39 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

校歌

私の母校、根川小学校は明治5年の創立である。祖父、母、私、三代にわたってお世話になった。私が京都に移り住んだので、もしそのまま地元にいて、子供がいたら、四代にわたってお世話になったかもしれないと思うと、歴史を感じざるを得ない。

校歌というものは、日本には当然のごとくあるが、世界の中でほとんどの国には、校歌というものがない。日本の統治時代を経た台湾、韓国にはある。そうでない中国にもあるらしい。
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by fumonken | 2014-11-30 07:52 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

李登輝元総統「日本の教育と私」・・・「自我」排し高い次元に生きる

最後に、最近台湾で、「台湾民主化の道」と言うDVDが出回っています。20年来の台湾の民主化の過程に於いて、私は与党国民党の指導者として、台湾の国民の声に耳を傾け、主流の民意を尊重し、それを改革の推進力として来ました。このDVDの中で台湾の民主化を進めた私に対して、「李登輝は一体何者や?」と問うていました。

それに対して台湾大学史学科の呉密察教授は、『李登輝氏は日本の大正世代に生まれ、徹底的に日本教育の薫陶を受け、忍耐、自制、秩序を重んじ、公の為に奮闘、努力する精神を身につけた人である』と返答しています。

この答に同意はしますが、日本的教育で、最も強調されている“実践躬行”が述べられていません。日本的教育の長所は、武士道精神に表現される実践にあると言えるでしょう。私も知ること、考えること以外に、実践する能力に全ての意義を与えています。

私にとって、人生は1回限りであり、来世はありませんから、一部の宗教が所謂「輪廻」を唱えるのも、私はそれを自己満足に過ぎない話だと思っています。「意義ある生」をより肯定すべきだと思います。

「人間とはなんぞや」、または「自分とは誰だ」という哲学的問題から出発し、自己啓発へ発進すれば、人格及び思想の形づくりが完成できます。「自我」の死への理解を踏まえたうえで、初めて肯定的な意義を持つ「生」が生まれるのです。

実際に、人間は単に魂(心)と肉体から構成されています。けれども精神的な弱さは更に高い次元の存在を必要とするのです。総じて言えば、私達には全ての権限を有する神が必要です。と言っても、すぐに信仰を持つのも簡単ではありません。信仰への第一歩は、見えないから信じない、見えるから信じることでなく、ただ信じること、実践することです。純粋理性から実践理性へと、もっと高い次元に生きる価値を見つけ出すことが、人生の究極の目標です。

従って、この日本的教育によって得られた結論は「私は誰だ」という問いについて、「私は私でない私」なのです。この答えによって、私は正しい人生の価値観を理解し、いろいろな問題へ直面する時にも、「自我」を排除して、客観的立場で正しい解決の方法を考えることができるようになりました。これが日本の教育を通して私に与えられた人生の結論でしょう。

これをもって私の講演を終わらせてもらいます。ありがとうございました。【2006年9月21日付・産経新聞に掲載】
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by fumonken | 2014-11-12 08:12 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

李登輝元総統「日本の教育と私」・・・誠意ある実践こそ日本精神

武士道とはかつて日本人の道徳体系でした。封建時代には武士が守るべきことを要求されたもの、もしくは教えられたものです。

それは成文法ではない、精々、口伝による、もしくは数人の武士、もしくは学者の筆によって伝えられた僅かの格言があるに過ぎず、むしろそれは語られず、書かれざる掟、心の肉碑に録されたる律法たることが多いのです。不言不文であるだけ、実行によって一層強い効力が認められているのです。

それはいかに有能なりといえども1人の人の頭脳の創造ではなく、またいかに著名なりといえども1人の人物の生涯に基礎するものではなく、数十年、数百年にわたる武士の生活の有機的発達でありました。それがやがては日本人の行動基準となり、生きるための哲学にもなりました。

具体的には、武士道精神は公の心・秩序・名誉・勇気・いさぎよさ・惻隠の情・躬行(きゅうこう)実践を内容にしつつ、日本人の精神として生活の中に深く浸透していったのです。

日本精神について、台湾嘉南大土☆、烏山頭水庫(ダム)を建設した八田與一氏を例として述べましょう。

嘉南大☆の灌漑面積は15万ヘクタール、烏山頭ダムの水源建設総工事費は400万円、当時の台湾総督府の年間予算に匹敵する大工事でした。工事期間は10年、32歳の若さでこの巨大工事を成し遂げた八田氏は、この工事でソーシャルジャスティスを実践、日本人精神を発揮しました。

烏山頭ダムと濁水渓から取り入れた水は合計1億5000万トン。しかし、これでは15万ヘクタール全域に給水することは不可能でした。

八田氏は普通の土木工事の技術者と違い、『ダムと水路を完成すればそれで終わりである!』とは考えませんでした。彼は農民のためにダムや水路を造るのであれば、何とかして農民にあまねく水の恩恵を与え、生産が共に増え、生活の向上があって初めて工事の成功であると考えました。彼はこのために、三年輪作という耕作方法を考え、水をすべての農民に行きわたる方法を講じました。

嘉南大☆の工事で134人もの人が犠牲となりました。完成後に殉工碑が建てられ、その碑には全員の名前が台湾人、日本人の区別なく刻まれていました。

関東大震災の影響で予算が大幅に削られ、従業員を退職させる必要に迫られたことがありました。その時、八田氏は幹部の『優秀な者を退職させると工事に支障が出るので、退職させないでほしい』という言い分に対し、『大きな工事では優秀な少数の者より、平凡な多数の者が仕事をなす。優秀な者は再就職が簡単にできるが、そうでない者は失業してしまい、生活できなくなるのではないか!』といって、優秀な者から解雇しています。

八田夫婦が今も台湾の人々によって尊敬されるのは、義を重んじ、誠をもって率先垂範、実践躬行する日本的精神が脈々と存在しているからです。八田夫婦の例を挙げて、私がここで皆さんに申し上げたい事は、日本精神の良さは、口先だけではなく、実際に行う、誠実をもって行うというところにこそあるのだということです。【2006年9月18日付・産経新聞に掲載】
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by fumonken | 2014-11-12 08:09 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

李登輝元総統「日本の教育と私」・・・民主主義とは武士道の精神

日本文化の優れた伝統を日本の教育で獲得できた私に、何かなされたでしょうか? これから説明しましょう。

昭和20年8月15日、名古屋城で終戦を迎えた私は数日を経て復員し、京都の下宿に戻ってきました。その時から時間はすでに61年経過し、私もじいさんになりましたが、一昨年、60年ぶりに家族4人でその日本を一週間訪問し、観光する機会を得ました。

この時に私が強く感じたことは、日本は戦後60年で大変な経済発展を遂げたということです。焦土の中から立ち上がり、ついに世界第2位の経済大国を造り上げました。政治も大きく変わり、民主的な平和国家として世界各国の尊敬を得ることができました。その間における人民の努力と指導者の正確な指導に敬意を表したいと思います。

もうひとつ感じたことは、日本文化の優れた伝統が進歩した社会で失われていなかったことです。日本人は敗戦の結果、耐え忍ぶしか道はありませんでした。経済一点張りの繁栄を求めることを余儀なくされたのです。そうした中にあっても、日本人は伝統や文化を失わずに来たのです。

強く記憶に残ったのは、様々な産業におけるサービスの素晴らしさでした。金沢では一流旅館ならではのきめ細かいサービスに驚嘆しましたし、新幹線も車内サービスの充実ぶりに目を見張りました。そこには戦前の日本人が持っていた真面目さや細やかさがはっきり感じられました。

「今の日本の若者はダメだ」という声も聞かれますが、私は決してそうは思いません。日本人は戦前の日本人同様、日本人の美徳をきちんと保持しています。確かに外見的には、緩んだ部分もあるのでしょう。しかし、それはかつてあった社会的な束縛から解放されただけで、日本人の多くは今も社会の規則に従って行動しています。

さらに私が感じたのは、日本人の国家や社会に対する態度がここへ来て大きく変わり始めたことです。戦後60年間の忍耐の時期を経て、経済発展を追求するだけでなく、アジアの一員としての自覚を持つようになりました。武士道精神に基づく日本文化の精神面が強調され始めたのです。

ここ20年間、台湾にデモクラシーを持ち込んで、政治体制を変更した私が「『武士道』解題」を書き、副題にノーブレスオブリージェをキーワードとして、指導者たるべき者の心構えを説くことを考えれば、民主主義と武士道精神の間には、なんら矛盾がないと思います。デモクラシーと言うのは、個人のことを考えるだけではなく、国民の声を聞いて、国家のために働く、武士道の精神でもあるのです。【2006年9月20日付・産経新聞に掲載】
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by fumonken | 2014-11-11 18:11 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

李登輝元総統「日本の教育と私」・・・生活の中の普遍的な美学

日本文化の優れた面は、かかる高い精神性に代表される、即ち武士道精神に代表される日本人の生活にある哲学であると信じます。心底からこみ上げる強い意志と抑制力を持って個人が公のために心を尽くす以外に、また日本人の生活にある美を尚(たっと)ぶ私的な面があることも忘れてはいけません。

藤原正彦先生は「国家の品格」の書物の中で、日本人の生活内容を「情緒と形の文明」と強調しています。日本人の生活は、自然への感受性と調和であり、もののあわれ、さびとわびを生活の中に見つけ出す、日本人独特の、また、人間として普遍的になくてはならない美学があるのです。

昔、中国で老子は「道可道 非常道」と、道は口で言えるものでなく、口で言えるものは永遠に道ではないと言っています。日本人は生活において花を生けるには花道を、お茶を飲めば茶道と言う様に、生活におけるあらゆる行為が道となっています。それが俳句や和歌という様な形で表現されて、自然との間に共生的関係を持っています。

これは世界の人々にはなかなか分かるものではありません。私が「『武士道』解題」を出版し、そして更に奥の細道を歩きたい気持ちは、日本文化の優れた精神性と美学的日本人の情緒を、何とか外国人や今の若い日本の人々に伝えようと考えたからです。

直感的に、私は芭蕉の著作「奥の細道」は、この様な日本文化の美を丁度よくまとめたものであると思っています。

奥の細道で平泉に到着した芭蕉と曽良が見たのは金鶏山でした。そして昔を偲(しの)びつつ、呆然(ぼうぜん)と立ち尽くして詠んだのが「夏草や兵どもが夢の跡」でした。時間を越えて華やかな過去がすべて一つの草むらにしか過ぎません。山寺を訪れては、蝉の声の潮と周囲の静けさの中で「閑さや岩にしみ入る蝉の声」を詠みました。自然との調和、心にしみこんで何の説明もいりません。

芭蕉は旅情のほてりが醒(さ)めやらず、最後の気力をふるい起こし、海岸沿いに越後の国に入ります。出雲崎に泊まった時に詠まれた「荒海や佐渡に横たふ天河」は、壮大な景観と佐渡への思い入れの入った句でした。

以上の3句は、時間と空間、存在している景観を十分に情緒と形で表した日本人らしさの代表的なものでしょう。【2006年9月19日付・産経新聞に掲載】
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by fumonken | 2014-11-11 11:11 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)