普門軒の禅寺日記・京都の宿坊・お寺に泊まる

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カテゴリ:日課抄・歳時記( 441 )

「差」と「區」

「差」という話をした。今日は差別と区別。

「差別」。「差の別ける」と書く。「差」という漢字は、「麦」という字と「左」という字が組み合わさってできている。「左」には低い位置や正しくないとか支えるという意味がある。つまり「差」という字は「不揃いの麦の実」という意味から来て、いわゆる何かと何かの「差」という意味になった。
「差別」には明らかに「違い」とか「違う」の意味合いが含まれている。

一方「区別」。「区」という字は旧字体で「區」と書くが、隠すという意味の「匸」という字の中に、いろいろなものという意味の「品」という字が入る。つまり「多くのものを隠す」という意から、「わかつ」とか「くぎる」という意味になった。もともと「違い」という意味合いはない。
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by fumonken | 2016-02-10 17:36 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

私の師匠筋に当たる盛永宗興老師は「さとり」とは、「差」を取ることだとおっしゃった。

考えてみれば、ここ数年「格差」という言葉を、かくもこのように日常の言葉として聞くようになるとは誰が想像したであろうか。

自分を大切にすること。裏を返せば、他人と「差」をつけることだ。
自分の能力を高めること。裏を返せば、他人と「差」をつけることだ。

禅でいう「差」取りとは、自分を大切にするなと言っているわけではない。自分の能力を高めるなと言っているのではない。他人と「差」をつけてしまう心を改めたい。そのために自分を大切にするという方法もあれば、自分の能力を高めるという方法もあろう。
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by fumonken | 2016-01-12 18:39 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

無限

西洋哲学では「なにも無い=NOTHING」という意味ですが、仏教哲学では「無限=INFINITY」と捉える。鈴木大拙の言葉である。
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by fumonken | 2016-01-02 18:39 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

今の日本の暮らしでは

ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。
よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。

『方丈記』の冒頭であるが、とても今の日本の暮らしからは、正直、出てこない言葉だ。
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by fumonken | 2016-01-01 19:41 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

また昭和はひとつ

先週の原節子さんの訃報に続き、今日、漫画家の水木しげるさんがお亡くなりになった。
その作品は改めて言うつもりはないが、私はやはり『マンガ昭和史』がもっとも印象に残っている。私自身も祖父の歴史を聞き語りでまとめたが、はやりご自分でご自分の歴史を書かれているだけに非常に説得力とリアリティのある内容に何度も読み返した。戦前と戦時中の普通の日本人の歴史がそこにはあった。

そんな本当の戦前、戦中を生きた人がまたひとり亡くなった。本当に言葉に言い尽くせない。

ご冥福を心よりお祈りいたします。
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by fumonken | 2015-11-30 18:02 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

古き良き日本が又遠くになっていった

女優の原節子さんが9月5日に亡くなっていた。私は学生時代に小津映画を知ったが、原節子さんの存在は一際、存在感のある方だった。本当に日本の女性は品があって美しいなーと思った。

それ以上に、後生の生き様に驚いた。42歳で突然の引退。鎌倉市の自宅で全く姿を見せず、徹底した隠とん生活を送った。普通ならば、あれほどに地位や名声を手に入れた方なら、いろいろなことに声を上げたり、その存在感を見せたいものだ。しかし原さんはそういうことは一切なさらず、50年以上、その姿勢を崩さず、結局、そのままお亡くなりになった。
本物でないとできない。隠とんと一枚になっている。

言葉にはできない。ただ、昭和がまたひとつ遠くなった。本当に悲しいことで、無常観を感じる。

ご冥福を心より、お祈りします。
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by fumonken | 2015-11-26 13:53 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

「守る」と言うことと、「とらわれる」ということ

なかなかにしてそれを見極めることは難しい。

「守る」と言うことと、「とらわれる」ということ。自分はそれを守るために行動しているのか、それともそれにとらわれているから行動しているのか。

その見極めは非常に難しい。
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by fumonken | 2015-10-10 09:21 | 日課抄・歳時記 | Comments(1)

それを言っちゃー、おしめーよ

私は映画『男はつらいよ』が好きだ。寅さんの言葉にはよい台詞がたくさんある。

なかでも最も好きな台詞が

「それを言っちゃー、おしめーよ」

人生にはいろいろなことがある。山もあれば谷もある。いろんな人も居れば、いろんな立場に置かれることもある。しかし、どんなに自分にとって納得のいかないことがあって、やっぱり己の中でかみしめておかないといけないことがある。

それを言葉にすることによって、それを行動におこすことによって、もっと大きなものを失ってしまう。

そんなときは、己の心に対して

「それを言っちゃー、おしめーよ」

と、己の心に対して、叫び、静かに幕を引こう。
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by fumonken | 2015-10-01 08:47 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

雑草という草はないんですよ。

お寺という所は因果なもので、草引きという作務がある。草引きをしていると、時折、浮かぶ言葉がある。それは昭和天皇のお言葉だ。

昭和天皇と侍従が皇居内を散策なさっておられる折、雑草が生い茂っていた。それ見て、侍従が随分手を尽くしたのですがこれだけ残ってしまいました。いずれきれいに致します」というような言葉を昭和天皇に述べると、陛下は、

「何を言っているんですか。雑草という草はないんですよ。どの草にも名前はあるんです」。

というお言葉だ。この言葉には続きがあって、調べてみると、こう続く。

「どの植物にも名前があって、それぞれ自分の好きな場所を選んで生を営んでいるんです。人間の一方的な考えで、これを切って掃除してはいけませんよ」とおっしゃったという。
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by fumonken | 2015-09-05 09:41 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

関心について

「関心」の意味は、心にかける、心配する、気にとめる、注意するという意味である。

「関」という字は旧字体で「關」と書くが、門構えの中の字は「貫く」という意の字である。もともと門に閂(かんぬき)を横に通して、門を閉ざすという意味らしい。転じて関は調べるところという関所の意味になった。また調べるところという意から「関心」、「関知」、「関白」などいう言葉もでてきた。

その「関心」であるが、最近、「関心」というと「興味」という意味合いで用いることが多いと感じる。

これは英語の「interest」を、関心、興味として、いっしょの言葉として翻訳したからではないだろうか。ちなみに、それこそ興味深いことに、「interest」には他に「利益」「利害関係」「利子」という意も含む。

日本語の「関心」という言葉に、いつしか、自分にとって「利のある事柄に対して」心にかける・気にかけるという使い方にはなっていないであろうか。
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by fumonken | 2015-07-31 20:39 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)