普門軒の禅寺日記・京都の宿坊・お寺に泊まる

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カテゴリ:日課抄・歳時記( 436 )

independenceと独り

independenceという英語の言葉は否定を表す「in」+依存を表すdependenceからなる。つまり「依存しない」という意味である。そして明治になって日本人はindependenceという漢字として「独」をつっかた熟語「独立」という字を当てた。

独という漢字は正字では「獨」と書き、けものを表す「犭」と牡を表す「蜀」からなる。もともとの意は「犬がケンカする」と言う意である。犬は寄り合うとケンカをするので、一匹ずつ離しておいたことから、ひいてはひとり、相手がない、人の助けによらない状態や様子などを表す字となった。まさに依存しないindependenceである。

漢字の歴史からみれば、独りである理由、依存しない理由が「ケンカをしてしまう」からというのが興味深い。



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by fumonken | 2017-04-02 10:26 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

ルール=いいからやれ!

ルール。「rule」と書くが、語源は「まっすぐな棒切れ」でラテン語 regulaだそうだ。
「まっすぐな棒切れ」から「ものさし」の意になり、さらに派生して、我々が周知の意味「規則、法則、習慣、標準」などになった。しかし特筆すべきは「支配」という意味があることだ。故にruleの動詞は「支配する、思いのままにする。指示する」という意味をも持つことだ。

一方「規」だが、興味深いことに同じく「ものさし」が語源で、派生し「法、掟、手本」などの意になり、動詞としては「戒める、いさめる」という意を持つ。しかし「支配」という意は見当たらない。
「則」の語源は「鼎=見」に「リ=刀」でできており、「鼎」に刀で傷をつけて標準にしたと言う意で、「規」と同様の意になり、やはり「支配」という意は見当たらない。

大和言葉の「きまり」だが、古くは「決まり」と書くが、漢字の「決」の語源は「川の水が堤を切って流れる」で、結果がすぐ見えてしまうことから「決める、定まる」と意に派生したらしい。さらに興味深いのは「思い切って、勢いよく、すばやい」という意で、さらに「決心、決断」など「覚悟」の意ももつ。古代日本人「きまり」という大和言葉に「規」や「則」を当てずに、「決」の字を用いたのは当てたのは非常におもしろい。

日本人にとって「ルール」とは規則、標準という意味よりは、禅的な「いいからやれ!」に近いのではないか。


規則が支配まで派生した英語と、規則はあくまでも規則である漢字。



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by fumonken | 2017-03-29 13:24 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

源泉

親子、家族、地域、社会に対する愛情の深さ。
先祖に対する誇りの深さ。

一つ目は横のつながり。二つ目は縦のつながり。

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by fumonken | 2017-02-18 13:14 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

何も役に立てずに

何も役に立てずにもう44年も過ぎてしまった。
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by fumonken | 2017-02-14 22:17 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

建国記念の日

今日は建国記念の日。もちろん祝日だ。今日、投宿された20代の3人の方に今日は何の日か聞いた。誰も答えられなかった。
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by fumonken | 2017-02-11 10:29 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

今年の指針

今年の目標は上杉鷹山の言葉にしたい。
「為せば成る 為さねば成らぬ何事も 成らぬは人の為さぬなりけり」
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by fumonken | 2017-01-07 05:47 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

百歳に

私事で恐縮だが、今日、9月20日に私の祖母は満百歳を迎えた。非常にありがたいことで、私の祖母は特別悪いところもなく、百歳という年齢においては健康だと言える。祖母自身、あと3年は大丈夫だと思うよといっているくらいだ。

以前「よっぽど業が深いのか、なかなか死ねんねー」といっていた。という仏教の言葉が普通に出てくることに驚いた。

「ほんじゃ、おばあちゃん、今ここに強盗が刃物を持ってきたどうするん」と聞くと、

「ほりゃー、逃げるよ」と即座に答えた。

確かにが深いなーと思えておかしかった。


※ここでいうとは、仏教的な意味あいではなく、あくまでも日本語の表現としての意味合いなので、その点のコメントは差し控えてほしい。
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by fumonken | 2016-09-20 19:35 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

私と公

気がつけば、すでに9月。2ヶ月もブログを更新していないと、いろいろな方面からどうしたのかと失跡をいただく。久しぶりにブログを更新しなくては。やはり関心のある漢字ついて書こう。

「私」という字は、穀物という意の「禾(のぎへん)」に、囲うという意の「口」(のちに「ム」となる)からなる。穀物を自分だけのものとして囲うというのが「私」の語源だ。「ム」という字は「自分だけのものとして囲う」というのである。非常に興味深い。

一方、「公」は、「自分だけのものとして囲う」という「ム」という字と「八」の字からなる。自分だけのものとして囲っているものをどうするというのか。

実は「八」の字の意は「開く」という意の字であるという。

自分だけのものとして囲っているもの、もしくは囲もうととしたものを「開く」というのが「公」の語源なのである。



ちなみに「和」という字は、「禾」と「口」から成り、「私」の字のように穀物を自分だけのものとして囲うという字のように見える。しかし「和」の「禾」はのぎへんではなく、加わるという意で、部首としては「口(くちへん)」の字である。「和」は人の声に応じ合わせるというのがその語源である。
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by fumonken | 2016-09-10 10:25 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

私という字

気がつけば、すでに9月。2ヶ月もブログを更新していないと、いろいろな方面からどうしたのかと失跡をいただく。久しぶりにブログを更新しなくては。やはり関心のある漢字ついて書こう。

「私」という字は、穀物という意の「禾(のぎへん)」に、囲うという意の「口」(のちに「ム」となる)からなる。穀物を自分だけのものとして囲うというのが「私」の語源だ。

「ム」という字は「自分だけのものとして囲う」というのである。非常に興味深い。

そうすると、「公」は「八」という字に、「自分だけのものとして囲う」という「ム」からなる。自分だけのものとして囲っているものをどうするというのか。「八」の字の意は「開く」という意の字であるという。

自分だけのものとして囲っているもの、もしくは囲もうととしたものを「開く」のである。それが「公」の語源だ。



ちなみに「和」という字は、「禾」と「口」から成り、「私」の字のように穀物を自分だけのものとして囲うという字のように見える。しかし「和」の「禾」はのぎへんではなく、加わるという意で、部首としては「口(くちへん)」の字である。つまり「和」は人の声に応じ合わせるというのがその語源である。
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by fumonken | 2016-09-10 10:21 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

恥と耻

日本語はいまでも「恥」を「耳」に「心」と書く。

中華人民共和国語(簡体字)では、「耳」に「止」と書いて「耻」。これが「恥」という字だそうである。
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by fumonken | 2016-06-12 12:41 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)