普門軒の禅寺日記・京都の宿坊・お寺に泊まる

ブログトップ

カテゴリ:禅の暮らし( 25 )

マンネリとマナー

マンネリという言葉がある。これは英語でmannerismのことである。mannerismという言葉は、我々がよく知る言葉manner、マナーにism(主義)をつけた言葉である。

ismという概念は非常にやっかいで、主義のことであるが、主義というと響きはいいが、時として偏ってしまい、またそれに本人が気づかないということも多い。マンネリがいい例である。

マナーも偏りすぎて、マナー主義に陥ると、マンネリになってしまう。

はやり何事も臨機応変にいきたい。
[PR]
by fumonken | 2015-09-16 12:04 | 禅の暮らし | Comments(0)

気と禅

修行でも仕事でも「やらされる」と思っている間を、「気が無い」という。

「気が無い」状態から脱する方法として、禅の修行では「言われたことをすぐにやる」「いいわけはしない」を徹底する。もちろん理屈にあわないことも言われるし、時に感情的な怒号も飛ぶし、理不尽なことなど山のようにある。しかし、考える前に「言われたことをすぐにやる」、正当な理由があろうとも「いいわけはしない」。禅の修行ではこれに徹しなくてはならない。

そんな「言われたことをすぐにやる」「いいわけはしない」修行に半年も徹していくと、言われる前にさっと動いて気が利き、周りの状況に対して気が回り、少しずつ、少しずつ「気が付く」のである。

さらに「言われたことをすぐにやる」「いいわけはしない」修行を続けていくと、個人差はあれど、誰でも「気を遣う」ことができるようになる。

確かに気が進まなかったり、気が抜ける時もある。しかし禅の修行にはそんなことも織り込み済みで、ちゃんと気を休めたり、気を紛らわす時間も取られている。やる時は徹底してやり、休み時は徹底して休む。そうすれば気も晴れるのである。

よーし、私もようやく「気を遣う」ことができるようになったと言って、禅の修行は終わりだと思ってはならない。さらに「言われたことをすぐにやる」「いいわけはしない」修行を重ねていかなくていくことで、何を言われても、心がさっと働き、どんな場合でも平常心でいられる。そんな「気にならない」己をつかむことができるのである。これが禅の境地である。
[PR]
by fumonken | 2014-08-07 07:56 | 禅の暮らし | Comments(0)

禅の暮らし

師匠の寺で数年暮らしたアメリカ人が10年ぶりにお越しになった。私ははじめてお会いする方だったが、いろいろなことを語り合った。彼は今、アメリカでユダヤ教のラバイをしている。ラバイとは仏教で言うところの和尚である。

彼は久しぶりの禅寺の生活に、ここは私にとって、エデンの園のようなものだといった。禅の暮らしとはどのようなものか尋ねると、

禅寺の暮らしは、生活と哲学の境がなく、体と心の境がなく、自然と人間の境がないといった。
[PR]
by fumonken | 2014-06-14 19:48 | 禅の暮らし | Comments(0)

門より入るものは是れ家珍にあらず

「門より入るものは是れ家珍にあらず」。禅における大切な言葉の一つです。
家珍(かちん)とは家宝のことです。自分の宝物という意味です。
門から入ってくるものには家宝はない。門とは六つの門のことです。
目、鼻、口、耳、肌、意識の六つ門です。

私たちは絶えず、これらの六つ門を通して、外のものを見たり聞いたりして頭に描いていて受け入れています。禅ではそれら、外から入ってきたものは借り物であって、本物ではないというのです。

料理をただ習ったり、教えられたり、本を読んで作っただけで、体験のないものには、決して上手になれるものではない。禅では、受け入れ態勢の体験が非常に厳しく要求されるのです。論より証拠、実行第一。己で料理を作ってみる、自分で食べてみることが大切なのです。

だからといってただすればいいのではありません。日常の生活に於いて、自分なりに工夫していく、役立てていく。それを心がけて実践する。そうやって継続していくうちに、門から入ってきたもののヒントとしながら、己の中にもともとあったものに磨きがかかり、家珍として開発されていくのです。それが禅の修行です。
[PR]
by fumonken | 2014-03-05 15:11 | 禅の暮らし | Comments(0)

生きるとは

さらに昨日の続き

禅の生き方に変えていきたいと思う方は、思考から入ると言うことでよろしいのですが、同時にもう一つ大切なことがあります。それは「師」を見つけることです。書籍やネットだけではだめです。時折でいいです。実際の声を通して、言葉の交わして、思考を学ぶことのできる「師」が必要です。

禅宗の僧侶になる場合、師匠につかないと僧侶になれません。師匠からいろいろなことを学びます。さらに修行道場にいけば、「老師(ろうし)」と呼ばれる「師」がいらっしゃいます。

まずは禅の書籍をてにとって、いろいろ思考されるとよいでしょう。次は、お近くの禅寺に是非、足を運んで下さい。そしてそのお寺の和尚さんと言葉を交わしてみて下さい。行動として坐禅をさせてもらったり、さらに掃除をさせてもらったらよいでしょう。時間がたつにつれ、「師」になってくれる思います。もしだめだったら、普門軒に来て下さい。
[PR]
by fumonken | 2014-01-10 20:25 | 禅の暮らし | Comments(0)

生きるとは

昨日の続きです。

もし、あなたが今、今の自分を生きた方を変えたいと思うなら、まず、思考を学ぶべきでしょう。そしてその上で、行動が変わっていき、結果、自分の生き方が変わっていきます。

禅なら禅の思考を、キリスト教ならキリスト教えの思考、マルクス主義ならマルクス主義の思考を学んでいけば、時間はかかりますが、行動も変化していき、結果、あなたの生き方も禅的生き方であったり、キリスト教的生き方であったり、マルクス主義的生き方になっていくでしょう。

忘れてはならないことは思考のみになっては、生き方は決して変わらないということです。言行一致を目指さなくてはならないことです。思考か行動かどちらか一方では、単なる研究対象、興味の対象です。高等教育機関の指導者を見ればおわかりでしょう。生き方が変わるまでのことはないでしょう。
[PR]
by fumonken | 2014-01-09 20:07 | 禅の暮らし | Comments(0)

生きるとは

「生きる」とは、命を保ち、活動していることです。私たちは命を授けられている以上、その命を保ち、活動して行かなくてはなりません。その活動内容は大きく言いますと、思考と行動だと言えます。

人は思考して、行動します。また行動して、思考します。その積み重ねが「あなたの生き方」となるわけです。つまり行動力と思考力は「あなたの生きる力」なのです。

もし、あなたが、今のあなたを生きた方を変えたいと思うなら、どうしたらよいでしょうか。

禅宗の僧侶の場合、修行道場という場で、まず行動を学びます。修行の初期段階の多くの場合、思考は重要視されません。むしろじゃまなものとされます。例えば、掃除をする。掃除という行動はしますが、なぜ掃除する必要があるのかという思考はしません。食事はとても静かに食べる。静かに食べるという行動はしますが、なぜ静かに食べるのかという思考は大切にしません。ただただ行動のみを学ばされられます。それが何年かたつと、体もなれていき、自然と効率よく掃除ができ、静かに食事ができるようになります。つまり行動力がついてくるのです。行動力がついてくると「だから掃除をするのか」「だから食事は静かに食べるのか」と、自然と思考し始め、行動を理解できる思考力がついてゆきます。

思考力がついてくると、さらに行動しようという意欲がわき、さらなる行動力がついていきます。さらなる行動力が、さらなら思考力を呼び覚ますのです。そうしていく内に、これまでの行動と思考(生き方)から、知らぬうちに変わっていくのです。

ただし、修行道場のような場で、一定期間過ごせることは、一般的には非常に難しいことです。
[PR]
by fumonken | 2014-01-08 19:18 | 禅の暮らし | Comments(0)

應無所住而生其心

応(まさ)に住(じゅう)する所(ところ)無(な)くして而(しか)も其(そ)の心(こころ)を生(しょう)ずべし。
[PR]
by fumonken | 2013-08-11 17:31 | 禅の暮らし | Comments(0)

禅の暮らしー「死にざまを考える」

和尚さんは、平常、黒い衣の下には「白衣(はくえ)」とよばれる白い着物を着ます。これは白無垢などの、純粋無垢の意味ではありません。実は死に装束なのです。いつでも死ぬことができる心持ちに達しているというわけです。

私も誕生日なると、自分の「死にざま」を考えること意しています。どうやって死にたいか。どんな死を迎えるのか。死を考えることは、畢竟、生きることを考えることになります。

ちなみに遠藤周作さんはエッセイでこんなことを書かれております。
「私の知る限り「死にざま」という言葉は昔あったが、「生きざま」という言葉は日本語になかったと思う。
だから、「生きざま」なる言葉をテレビで聞くとオヤッと思う。そしてやがて「生きざま」という美しくない日本語が新しい国語辞典に掲載されることを憂えてしまう。そんな言葉は美しくないからだ。」
[PR]
by fumonken | 2013-02-07 18:49 | 禅の暮らし | Comments(0)

禅の暮らしー「悩むより体を動かす」

禅の暮らしにはルールがたくさんあります。ルールというと自由がない、縛られると思う方が多いと思います。私もそうでした。でもルールがあると悩まなくて済むんです。ご飯は三杯食べなくてはなりません。一杯でも、二杯でも、三杯でも良かったら、その都度悩まなくてはなりません。

洋服は着ることができません。法衣か、作務衣か、着物しか着ることができません。洋服も着て良くなってしまったら、その都度悩まなくてはなりません。

そんな話をすると、決まって、「なんでそうするのですか」と聞かれます。いいからやってみろ。これが答えです。これがいい、あれはいやだと悩むよりも、体をまず動かせ。これが禅の暮らしです。とにかくやってみることです。そしてそれを続ける。それから答えを己で見いだす。それが禅の暮らしです。
[PR]
by fumonken | 2013-01-05 20:18 | 禅の暮らし | Comments(0)