普門軒の禅寺日記・京都の宿坊・お寺に泊まる

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お盆を前にして

祖先崇拝とは、既に亡くなられた祖先が、生きている我々の生活に影響を与えている、あるいは与えることができる、という信仰に基づく宗教観、宗教行為のことだ。

これは稲作との関連があるとされている。その理由はいくつかあるが、二、三ご紹介する。稲作はその土地に住み着き、移動しない生活を送りる。人が亡くなっても、その生活空間と遠く離れないところに埋葬することができる。いつでも祖先とそばに居続けられるのだ。そして稲作の作業は家族を単位とします。田は子々孫々に受け継がれます。田の大きさがその家族の富と直結する。また稲作の水利など共同作業は村単位として営まれた。それは家単位のみでなく同時に地域の祖先、神々の恩恵との考えが、祖先崇拝の原点になったということだ。

稲作により、縦軸として祖先のへの感謝が生まれ、横軸として家族地域への愛情が生まれる。

しかし現在、人々は生まれ育った地を移動でき、その仕事も土地・環境・季節とは直接関連しない場合が多い。その結果か、実際に、祖先崇拝の行為は非常に薄らいでいるといえる。

かくいう私も生まれ育った地を移動した。しかしかろうじて、坊さんになったおかげで土地・環境・季節と関連する営みを得たことにより、縦軸として祖先のへの感謝が生まれ、横軸として家族地域への愛情が生まれ、自覚することができた。
私は普門軒の住職として、普門軒の檀信徒へは祖先崇拝の大切を伝えていきたい。

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# by fumonken | 2017-08-02 15:50 | Comments(0)

今年の9月、10月は投宿できません

今年の9月、10月は都合により投宿できません。冬以降、みなさんの投宿を待っております。
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# by fumonken | 2017-08-02 10:58 | 宿坊について | Comments(0)

宝蔵経

怨恨(うらみ)なき教えを仏教となし
訴訟(あらそい)なき教えを仏教となし
誂謗(そしり)なき教えを仏教となす
宝蔵経

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# by fumonken | 2017-07-22 15:31 | 禅・仏教について | Comments(0)

階段の工事

4月下旬より、植木屋さん、石屋さんにアドバイスや工事の仕方を教えていただき、始めた階段の工事もようやく目処が立った。後は左官屋さんに仕上げてもらうことになる。
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# by fumonken | 2017-06-29 19:42 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

京都の景観

京町家は、訳48000軒(平成21年)から約40000軒(平成28年)に減少。
今なお、年間約2%の割合で滅失が進行している。空き家率も14%を超えている。
※1950年(昭和25年)以前に京都市内に建てられた町屋を含む木造家屋のこと。

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# by fumonken | 2017-06-22 16:44 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

訓読みと音読み

日本語の表記は仮名と漢字だ。仮名ももともと漢字である。つまり日本語の表記は外国の文字である漢字で表記されている。英語もアルファベットで表記されるがアルファベットも元をたどれば、外国の文字であるギリシア文字に由来する。同じようなものだ。

しかし日本語の特徴は、漢字のもともとの発音に加え、日本語の発音も漢字に加えたことだ。つまり訓読みである。

たとえば「こんにちは」を漢字で書くと「今日は」となる。発音は「こんにちは」であり、「
きょうは」とは発音しない。古代の日本人も「こんにちは」と言っていたのだろう。「ありがとう」も「有り難う」と漢字で書くが、発音は「ゆうなん」とはいわない。訓読みをもつことにより、日本古来の日本語が保たれたと言っていい。

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# by fumonken | 2017-06-07 21:21 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

independenceと独り

independenceという英語の言葉は否定を表す「in」+依存を表すdependenceからなる。つまり「依存しない」という意味である。そして明治になって日本人はindependenceという漢字として「独」をつっかた熟語「独立」という字を当てた。

独という漢字は正字では「獨」と書き、けものを表す「犭」と牡を表す「蜀」からなる。もともとの意は「犬がケンカする」と言う意である。犬は寄り合うとケンカをするので、一匹ずつ離しておいたことから、ひいてはひとり、相手がない、人の助けによらない状態や様子などを表す字となった。まさに依存しないindependenceである。

漢字の歴史からみれば、独りである理由、依存しない理由が「ケンカをしてしまう」からというのが興味深い。



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# by fumonken | 2017-04-02 10:26 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

ルール=いいからやれ!

ルール。「rule」と書くが、語源は「まっすぐな棒切れ」でラテン語 regulaだそうだ。
「まっすぐな棒切れ」から「ものさし」の意になり、さらに派生して、我々が周知の意味「規則、法則、習慣、標準」などになった。しかし特筆すべきは「支配」という意味があることだ。故にruleの動詞は「支配する、思いのままにする。指示する」という意味をも持つことだ。

一方「規」だが、興味深いことに同じく「ものさし」が語源で、派生し「法、掟、手本」などの意になり、動詞としては「戒める、いさめる」という意を持つ。しかし「支配」という意は見当たらない。
「則」の語源は「鼎=見」に「リ=刀」でできており、「鼎」に刀で傷をつけて標準にしたと言う意で、「規」と同様の意になり、やはり「支配」という意は見当たらない。

大和言葉の「きまり」だが、古くは「決まり」と書くが、漢字の「決」の語源は「川の水が堤を切って流れる」で、結果がすぐ見えてしまうことから「決める、定まる」と意に派生したらしい。さらに興味深いのは「思い切って、勢いよく、すばやい」という意で、さらに「決心、決断」など「覚悟」の意ももつ。古代日本人「きまり」という大和言葉に「規」や「則」を当てずに、「決」の字を用いたのは当てたのは非常におもしろい。

日本人にとって「ルール」とは規則、標準という意味よりは、禅的な「いいからやれ!」に近いのではないか。


規則が支配まで派生した英語と、規則はあくまでも規則である漢字。



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# by fumonken | 2017-03-29 13:24 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

源泉

親子、家族、地域、社会に対する愛情の深さ。
先祖に対する誇りの深さ。

一つ目は横のつながり。二つ目は縦のつながり。

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# by fumonken | 2017-02-18 13:14 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

何も役に立てずに

何も役に立てずにもう44年も過ぎてしまった。
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# by fumonken | 2017-02-14 22:17 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

建国記念の日

今日は建国記念の日。もちろん祝日だ。今日、投宿された20代の3人の方に今日は何の日か聞いた。誰も答えられなかった。
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# by fumonken | 2017-02-11 10:29 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

今年の指針

今年の目標は上杉鷹山の言葉にしたい。
「為せば成る 為さねば成らぬ何事も 成らぬは人の為さぬなりけり」
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# by fumonken | 2017-01-07 05:47 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

1月、ゴールデンウィーク、7月、8月、12月は投宿できません

宿坊可能の期間ですが、1月、ゴールデンウィーク、7月、8月、12月は行事が重なるため、投宿していただけません。宜しくお願いします。
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# by fumonken | 2016-11-23 11:59 | 宿坊について | Comments(0)

百歳に

私事で恐縮だが、今日、9月20日に私の祖母は満百歳を迎えた。非常にありがたいことで、私の祖母は特別悪いところもなく、百歳という年齢においては健康だと言える。祖母自身、あと3年は大丈夫だと思うよといっているくらいだ。

以前「よっぽど業が深いのか、なかなか死ねんねー」といっていた。という仏教の言葉が普通に出てくることに驚いた。

「ほんじゃ、おばあちゃん、今ここに強盗が刃物を持ってきたどうするん」と聞くと、

「ほりゃー、逃げるよ」と即座に答えた。

確かにが深いなーと思えておかしかった。


※ここでいうとは、仏教的な意味あいではなく、あくまでも日本語の表現としての意味合いなので、その点のコメントは差し控えてほしい。
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# by fumonken | 2016-09-20 19:35 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

私と公

気がつけば、すでに9月。2ヶ月もブログを更新していないと、いろいろな方面からどうしたのかと失跡をいただく。久しぶりにブログを更新しなくては。やはり関心のある漢字ついて書こう。

「私」という字は、穀物という意の「禾(のぎへん)」に、囲うという意の「口」(のちに「ム」となる)からなる。穀物を自分だけのものとして囲うというのが「私」の語源だ。「ム」という字は「自分だけのものとして囲う」というのである。非常に興味深い。

一方、「公」は、「自分だけのものとして囲う」という「ム」という字と「八」の字からなる。自分だけのものとして囲っているものをどうするというのか。

実は「八」の字の意は「開く」という意の字であるという。

自分だけのものとして囲っているもの、もしくは囲もうととしたものを「開く」というのが「公」の語源なのである。



ちなみに「和」という字は、「禾」と「口」から成り、「私」の字のように穀物を自分だけのものとして囲うという字のように見える。しかし「和」の「禾」はのぎへんではなく、加わるという意で、部首としては「口(くちへん)」の字である。「和」は人の声に応じ合わせるというのがその語源である。
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# by fumonken | 2016-09-10 10:25 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

私という字

気がつけば、すでに9月。2ヶ月もブログを更新していないと、いろいろな方面からどうしたのかと失跡をいただく。久しぶりにブログを更新しなくては。やはり関心のある漢字ついて書こう。

「私」という字は、穀物という意の「禾(のぎへん)」に、囲うという意の「口」(のちに「ム」となる)からなる。穀物を自分だけのものとして囲うというのが「私」の語源だ。

「ム」という字は「自分だけのものとして囲う」というのである。非常に興味深い。

そうすると、「公」は「八」という字に、「自分だけのものとして囲う」という「ム」からなる。自分だけのものとして囲っているものをどうするというのか。「八」の字の意は「開く」という意の字であるという。

自分だけのものとして囲っているもの、もしくは囲もうととしたものを「開く」のである。それが「公」の語源だ。



ちなみに「和」という字は、「禾」と「口」から成り、「私」の字のように穀物を自分だけのものとして囲うという字のように見える。しかし「和」の「禾」はのぎへんではなく、加わるという意で、部首としては「口(くちへん)」の字である。つまり「和」は人の声に応じ合わせるというのがその語源である。
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# by fumonken | 2016-09-10 10:21 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

恥と耻

日本語はいまでも「恥」を「耳」に「心」と書く。

中華人民共和国語(簡体字)では、「耳」に「止」と書いて「耻」。これが「恥」という字だそうである。
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# by fumonken | 2016-06-12 12:41 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

ハンス・フォン・ゼークトの言葉

ヴァイマル共和国の軍人に、ハンス・フォン・ゼークトという陸軍大将がいた。
彼が語ったとされるのが、軍人を有能、無能、働き者、怠け者の4つのタイプに分ける「ゼークトの組織論」と呼ばれる軍事ジョークがある。

「有能な怠け者」は有能であるが故に事の是非を決することができる。 そして、怠け者であるが故に他人を用いて任せることもできるので「前戦の司令官」として最適である。

「有能な働き者」は事を判断することはできるが、働き者であるが故に他に任せきることができない。 よって、上に立つよりも「作戦参謀」として輔佐する立場が適当である。

「無能な怠け者」は自分で判断できないし、自ら動こうともしない。 よって、命ぜられたことをそのまま遂行する「連絡将校」か「下級兵士」に適任である。

「無能な働き者」は自分で適切な判断もできないのに、勝手に動く。 これは、余計な事をして迷走するので「銃殺刑」に処した方がいい。


しかし僧堂(禅宗の修行道場)では、 「無能な働き者」こそ、一所懸命に修行に励むことと思う。
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# by fumonken | 2016-05-30 21:09 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

禅の修行

「自分は貧乏であったこと。自分は病弱であったこと。自分は学歴がなかったこと」

松下幸之助氏は「一代で世界企業にした成功の秘訣は」、との質問に対しての答えが上記である。氏は「貧乏」であったから一所懸命に働き、「病弱」であったから摂生に努め、「無学歴」であったから勉学に励んだということだ。


仏教では、
自分とは「存在」があり、その存在には「本質」があり、その存在と本質には「能力」があり、その存在と本質と能力には「働き」があるととらえる。

そしてその「存在」と「本質」と「能力」と「働き」によって、自分に起こりうるの「直接的原因」がつくられるというのである。

その「直接的原因」と自分のまわりをとりまく「間接的原因」によって、自分に起こる「結果」が生まれる。
そしてその「直接的原因」と「間接的原因」によって、まわりに起こる「影響」が生まれるというのである。

禅の修行は、自分という存在の「本質」と「能力」と「働き」を見極め、それを素直に受け止めることにあり、そしてそれを磨くことにある。

自分への結果やまわりへの影響は後でついてくる。
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# by fumonken | 2016-04-27 12:20 | 禅・仏教について | Comments(0)

分担、階級、格差

分担とみるか、階級とみるか、格差とみるか。
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# by fumonken | 2016-04-17 19:37 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

「見える」規則

禅寺にはたくさんの規則(ルール)がある。これを規矩(きく)と言う。
例えば、朝は何時に起きないと行けない。ご飯の食べ方はこうだとか、掃除はこうしなくてはならないとか、坐禅をはじめる前に仏様に礼拝するなど。禅寺で生活する上で多くの規則がある。

これは何も禅寺に限ったことではない。我々が生きている以上、我々の行動様式は多くの規則によって営まれているのである。

この規則であるが、「則」という言葉は、おきて、さだめ、標準という言葉の意味である。
「規」という字は「夫」と「見」という文字からなる。「夫」とは道具や物差しの意味である。その道具や物差しが「見える」というのが、規則の「規」の字である。「見える」ということが非常に重要で、だから「規則」ということは、我々の行動様式のおきてやさだめ、標準様式が、「文章化」「明文化」して「見える」状態にたものなのである。


一方で、禅寺では「工夫しろ」ということをやかましく言われる。

「工夫」と「規則」、一見、相容れない概念であるとおもれるし、私もはじめはそう思っていた。

むしろこの「工夫」こそ、禅の修行の見せ場である。

次回はこの規則と工夫の話をする。
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# by fumonken | 2016-04-04 10:51 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

「脱○○」

全日空の国内線搭乗手続きのシステムに障害が出たということだ。ロビーでの混雑している様子が写真に出ている。コンピュータが世の中の重要なシステムの一つであると言うことを感じる。

こういうことが起きると、やれコンピュータ社会への危惧とか、次世代の何とかなどと、ことさらにかき立てる。

これは良い。これは必要、これは悪い、これはいらない。「脱○○」とか・・・。

禅はこういったとらえ方をしない。そのもの「存在」の善し悪しに関心をよせるのではなく、「存在」と「存在」とを結んでいる、そのときそのときの「関係性」に関心を向けなさいという。我々がその「存在」とどうつきあっていくのか、そういうことに関心を持つのである。問題は外にある「存在」ではなく、我々自信がその「存在」との「関係性」をどうとらえ、そのときどきでどうつきあっていくのかということである。
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# by fumonken | 2016-03-22 11:58 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

春季彼岸会法要

今日、春分の日は普門軒の春季彼岸会法要だった。正直、毎年、思うことなのだが、今年は何人お参りに来て下さるだろうかということだ。

しかし、毎回、たくさんの方がお参りに来て下さる。

これは畢竟、先住さんのおかげだなと思う。先住の和尚さまが、これまでの長い間、真摯につとめていただき、檀家の方々を大切になされ、信頼を気付きあげたおかげであると痛切に感じる。

本当にありがたいことである。
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# by fumonken | 2016-03-20 20:42 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

「差」と「區」

「差」という話をした。今日は差別と区別。

「差別」。「差の別ける」と書く。「差」という漢字は、「麦」という字と「左」という字が組み合わさってできている。「左」には低い位置や正しくないとか支えるという意味がある。つまり「差」という字は「不揃いの麦の実」という意味から来て、いわゆる何かと何かの「差」という意味になった。
「差別」には明らかに「違い」とか「違う」の意味合いが含まれている。

一方「区別」。「区」という字は旧字体で「區」と書くが、隠すという意味の「匸」という字の中に、いろいろなものという意味の「品」という字が入る。つまり「多くのものを隠す」という意から、「わかつ」とか「くぎる」という意味になった。もともと「違い」という意味合いはない。
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# by fumonken | 2016-02-10 17:36 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

私の師匠筋に当たる盛永宗興老師は「さとり」とは、「差」を取ることだとおっしゃった。

考えてみれば、ここ数年「格差」という言葉を、かくもこのように日常の言葉として聞くようになるとは誰が想像したであろうか。

自分を大切にすること。裏を返せば、他人と「差」をつけることだ。
自分の能力を高めること。裏を返せば、他人と「差」をつけることだ。

禅でいう「差」取りとは、自分を大切にするなと言っているわけではない。自分の能力を高めるなと言っているのではない。他人と「差」をつけてしまう心を改めたい。そのために自分を大切にするという方法もあれば、自分の能力を高めるという方法もあろう。
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# by fumonken | 2016-01-12 18:39 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

無限

西洋哲学では「なにも無い=NOTHING」という意味ですが、仏教哲学では「無限=INFINITY」と捉える。鈴木大拙の言葉である。
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# by fumonken | 2016-01-02 18:39 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

今の日本の暮らしでは

ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。
よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。

『方丈記』の冒頭であるが、とても今の日本の暮らしからは、正直、出てこない言葉だ。
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# by fumonken | 2016-01-01 19:41 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

また昭和はひとつ

先週の原節子さんの訃報に続き、今日、漫画家の水木しげるさんがお亡くなりになった。
その作品は改めて言うつもりはないが、私はやはり『マンガ昭和史』がもっとも印象に残っている。私自身も祖父の歴史を聞き語りでまとめたが、はやりご自分でご自分の歴史を書かれているだけに非常に説得力とリアリティのある内容に何度も読み返した。戦前と戦時中の普通の日本人の歴史がそこにはあった。

そんな本当の戦前、戦中を生きた人がまたひとり亡くなった。本当に言葉に言い尽くせない。

ご冥福を心よりお祈りいたします。
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# by fumonken | 2015-11-30 18:02 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

古き良き日本が又遠くになっていった

女優の原節子さんが9月5日に亡くなっていた。私は学生時代に小津映画を知ったが、原節子さんの存在は一際、存在感のある方だった。本当に日本の女性は品があって美しいなーと思った。

それ以上に、後生の生き様に驚いた。42歳で突然の引退。鎌倉市の自宅で全く姿を見せず、徹底した隠とん生活を送った。普通ならば、あれほどに地位や名声を手に入れた方なら、いろいろなことに声を上げたり、その存在感を見せたいものだ。しかし原さんはそういうことは一切なさらず、50年以上、その姿勢を崩さず、結局、そのままお亡くなりになった。
本物でないとできない。隠とんと一枚になっている。

言葉にはできない。ただ、昭和がまたひとつ遠くなった。本当に悲しいことで、無常観を感じる。

ご冥福を心より、お祈りします。
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# by fumonken | 2015-11-26 13:53 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)

祝日と休日と…

今、学生が下宿しているが、私学の大学に通っている。今日11月23日は何の日か知らなかった。新嘗祭の祭日であると言うことは知らないまでも、勤労感謝の日という言葉くらいは出てきてほしかった。問題はそれだけけはない。驚きは、この祝日の日に大学は平常通り授業があると言うことだ。

仮にも私学助成金をいただいている身である私立大学にも関わらず、祝日を祝日という気もなく授業を行う。非常にゆゆしき事態である。
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# by fumonken | 2015-11-23 15:48 | Comments(0)