普門軒の禅寺日記・京都の宿坊・お寺に泊まる

ブログトップ

「見える」規則

禅寺にはたくさんの規則(ルール)がある。これを規矩(きく)と言う。
例えば、朝は何時に起きないと行けない。ご飯の食べ方はこうだとか、掃除はこうしなくてはならないとか、坐禅をはじめる前に仏様に礼拝するなど。禅寺で生活する上で多くの規則がある。

これは何も禅寺に限ったことではない。我々が生きている以上、我々の行動様式は多くの規則によって営まれているのである。

この規則であるが、「則」という言葉は、おきて、さだめ、標準という言葉の意味である。
「規」という字は「夫」と「見」という文字からなる。「夫」とは道具や物差しの意味である。その道具や物差しが「見える」というのが、規則の「規」の字である。「見える」ということが非常に重要で、だから「規則」ということは、我々の行動様式のおきてやさだめ、標準様式が、「文章化」「明文化」して「見える」状態にたものなのである。


一方で、禅寺では「工夫しろ」ということをやかましく言われる。

「工夫」と「規則」、一見、相容れない概念であるとおもれるし、私もはじめはそう思っていた。

むしろこの「工夫」こそ、禅の修行の見せ場である。

次回はこの規則と工夫の話をする。
[PR]
by fumonken | 2016-04-04 10:51 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)