普門軒の禅寺日記・京都の宿坊・お寺に泊まる

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無事是貴人

この語は臨済宗を開かれた臨済義玄禅師のお言葉です。
私たちは、日本語の中でもよく「無事」という言葉を使います。
どうぞご無事で、無事でお過ごしですか、無事に済みましたなど・・・。

しかし、禅語としての「無事」にはもう少し深い意味があります。
臨済禅師が説くところの「無事」とは、外に向かって求める心(馳求心:ちぐしん)をすっかり捨て切ってしまったさわやかな境涯の意味です。
求める心を捨てろといっても、無気力無関心でいろ、言われたままに生きろということではありません。また損得勘定で生きるなということとも違います。

「無事」とはいわば、求めなくてもよいことに気づいたとらわれのないの境地のことなのです。

"悟り" "ほとけ" "救い" "しあわせ" とはいったい何なのか。それらは求めて得られるどころか、求めれば求めるほど遠くへ 逃げていってしまう。臨済禅師はそれらを自分の外に追い求める愚かしさを私たちに戒められておるのです。
求める心を捨てて、ああしたいこうなりたいといった欲の心を捨てて、限りなく純真無垢な自分と出会った時、無限にして偉大なるものに生かされている自分に気づくことができる。求めずとも既にそれに抱かれ、生き生きと輝いている自分を発見し、確信する。
「無事是貴人」とは、そういったとらわれのない安らぎの境地を心の底から実感した人、老若男女・長幼尊卑の別を超えているひとこそ、本当に貴い尊ぶべき人であるということなのです。
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by fumonken | 2013-05-10 11:17 | 禅・仏教について | Comments(0)