普門軒の禅寺日記・京都の宿坊・お寺に泊まる

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戦争と宗教

十二月八日は大東亜戦争の開戦記念日です。一般的日本人の中に宗教観と戦争観をもつことをタブー視した空気が、戦後長い間支配してきたと私は常々思っております。

宗教を観ることによって人は、生とは何か、死とは何か、それを「生死をどうとらえればいいのか」という死生観を得ていくのです。

また戦争を観ることによって人は、生とは何か、死とは何か、それを「生死をどうとらえればいいのか」という死生観の必要性に迫られる状況になります。

この『生とは何か、死とは何か、それを「どうとらえればいいのか」』。この死生観を戦後の多くの一般的日本人は真剣にとらえることをしてこなかったと申したいのです。

それほど遠くない昔、多くの人は家で生まれ、家で死にました。同時に家で慶事も弔事も行いますので、その家のみならず、地域にも慶事も弔事をかいま見る機会がありました。つまり人は人生の中で生と死に向き合わないくてはいけない時が、もっと身近にありました。だから「生死をどうとらえればいいのか」という宗教観の必要性がありました。

戦前はご承知の通り、一般男子には徴兵があります。これは有事のみならず、平時にもありました。お年寄りにお話を聞くと、多くの方が若い男女にとってはそれはそれは大きな問題だったといいます。人々は自分が、息子が、愛する人が軍隊に入隊するという経験を通して、生とは何か、死とは何か、それを「どうとらえればいいのか」ということの必要性をいやが応にも考えたと言うことです。

こういった死生観は自ら得ようと思ってもなかなか得られるものでありません。はやり人生を通して、その時折にそういう事に向き合わ無くてはいけない「時」がおとずれるのです。死生観と向き合うことはつらいことです。しかし私は本当に必要なことだと思います。

今、なぜこんなにも日本社会に閉塞感が蔓延してしまったのか。

私は、私たちが人生の中で真剣に死生観に向き合うことを避け、死生観を持ち得てこなかったことが、その原因のひとつではないかと思っております。
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by fumonken | 2011-12-09 12:48 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)