普門軒の禅寺日記・京都の宿坊・お寺に泊まる

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独裁者が殺害されて祝賀会

独裁者として四十二年間、リビアに君臨していたカダフィ大佐が殺害されたそうです。私はカダフィ大佐がどのような政治家・軍人で、どのような独裁体制を敷いて、政を行って来たかはわかりませんが、私はそこ末路に栄枯盛衰、自業自得、因縁の世界観を感じます。

ただ、独裁者であれ、犯罪者であれ、一人の人間が殺害されたことに対して、人々が大規模な祝賀会を開い、祝う気持を共有する。そこに大いなる違和感を感じます。イラクのフセイン大統領、イタリアのムッソリーニ首相、ルーマニアのチャウシェスク大統領にしても、殺害、処刑という末路は受け入れられるのですが、それを人々がこぞって祝う。

日本人はその歴史において、かつてそのような行為を人々があつまって行ったのでしょうか。罪を許せない。絶対に許せない。しかし人々が集まってわざわざ祝うというのはどうも理解に苦しみます。

日本は死んだらみんな仏さんだ。みんないっしょだという死生観があります。例え独裁者であろうと、犯罪者であろうと、死んだことを祝うということに違和感を抱くのは、平和ぼけだからなのでしょうか。
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by fumonken | 2011-10-21 09:19 | 日課抄・歳時記 | Comments(0)