普門軒の禅寺日記・京都の宿坊・お寺に泊まる

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禅宗の信心とは

たとい直接自分が坐禅(静座)はしなくても、
自分の清浄な心を形に現したものが、仏像であり、
自分の清浄な心を文字に書いたものが、お経であり、
自分の清浄な心反影したものが、一切の人々に供養(親切に)することによって、本来清浄な自分の心に立ち返り、そうして、本来清浄な自分の心に立ち返ることが、自他ともに、永遠なる希望と光明と心の安らぎをもたらすものであると、信じて実行するを「禅宗の信心」と申します。「臨済宗聖典」より
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by fumonken | 2011-08-21 11:21 | 禅・仏教について | Comments(3)
Commented by かぐら at 2011-08-22 17:15 x
座禅をすることで、自分自身の精神を体感できる。
仏像を目で見て、威厳やその存在感を実感できる。
なのになぜ経典は、昔のままの発音で現代には意味不明な言葉を発するのか。昔、クマラジュという人がサンスクリットから漢文へ翻訳したとか記憶しているが、今の時代でも庶民が理解できる文章で経典を表してほしいものだ。

とにもかくにも、仏の道は日常の自分の行いにすべてかかっているのだが、もう少しお経が理解しやすいと理解が深まると思う。法事なんかで唱えるたびにこんなことを考えてお経を唱えています。和尚、なにか一つわかりやすいお経の訳をお願いします。
Commented by fumonken at 2011-08-25 18:59
私はいつも「発菩提心空拳章」というお経を法事の時に読みます。和讃といって日本語のお経です。もしよかったら、呼んでみてください。文語体ですが、意味はわかりやすいと思います。お経は何度も唱えることで、生活の中のひとこまに、それが出てきたときに、はっと気づくのです。お経を含めて、仏の教えとは、理解してから進めていくのではなく、まずは実践していくことから始めていくものなのです。私も最近、ようやくお経の深い、深いところの意味を知りたくなりました。
Commented by かぐら at 2011-08-26 21:49 x
ありがとうございます。早速探してみてみます。