普門軒の禅寺日記・京都の宿坊・お寺に泊まる

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僧侶が洋服を着ること

私は僧侶としてどうしてもできないことが一つあります。それは洋服を着ることです。

先日、ベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ十四世が来日されたとニュースで見ました。その目的は「非暴力と仏教の教えを広める事」であるとお話をされたそうです。ダライ・ラマ十四世のお写真や映像は、必ず衣に身をまとっています。おそらく、私的な場合でもジーンズやTシャツ、スーツなどは召さないのではないだろうか。二十四時間、いつもで、即今、僧侶であるという存在を感じます。

私はいっさいの公的だろうが、私的であろうが、洋服は着ないことにしています。洋服自体一切もておりません。今後とも着ることはないでしょう。修行道場の師匠はもちろんのこと、私の師匠もそうですし、私の師匠の師匠、その又師匠も、いっさいの洋服は召しておりません。公的な場合は衣、私的な場合は作務着または着物を召していらっしゃいます。その姿に、坊さんとしての道(生き方)の第一歩、いや絶対条件を感じております。

一般の皆さんは、公的、私的にかかわらず、僧侶が洋服を着ることをどうお思いでしょうか。是非聞かせていただきたいです。
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by fumonken | 2010-06-20 07:46 | 日課抄・歳時記 | Comments(2)
Commented by ホクレ at 2010-07-07 22:24 x
正直に書かせて頂きます。

「どっちでもいいんじゃない?」

というのが私の意見です。
着たければ着ればいいし、
着たくなければ着なければいい。

僧侶さんも人間でしょ?
私からしたら何で僧侶さんが洋服着たらいけないの?
と、思ってしまいます。

といいますか、本当は洋服を着たいのでは?
でないと、こういう疑問?質問?は出ないのではないかと。

ご自分のお師匠さんが洋服を着なかった事と、
貴方様とは関係がないような気がします。

ほんとのほんとに正直に言わせて頂くと、

「聞いてどうすんの?」

という思いです。


なーんか偉そうにすみませんでしたm(__)m
Commented by ponta at 2010-11-10 23:54 x
この国では舶来の料理を食い、舶来の服を着て、舶来の様式の建物に住み、客観的に見れば異民族に制服された古代の国家と似た体になっています。洋服を着るという行為は、料理屋の賄いと似ています。元々、自分たちのためにデザインした衣装ではないからです。客のために作った物の残りを食べている。私にとっては、洋服とはそんなイメージです。どれだけ着飾っても所詮はコピーであり、心の底ではどこか虚しい。西洋人に猿真似と馬鹿にされる由縁でしょう。

何の疑問も抱かずに西洋の文化を模倣しているその姿に自尊心は感じられず、私などは自分たちの風俗を守っている西アジアなどの地域の人々のほうがかっこいいと感じます。本当に豊かな国では独自の文化が花開くものです。バブルに浮かれて、この国は何をしていたのかという思いです。