普門軒の禅寺日記・京都の宿坊・お寺に泊まる

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夫婦別姓のコメントに対して…

ハチさんへ
夫婦別姓への私のブログの拝読、およびコメント、本当にありがとうございます。私も考えさせられました。もしハチさんが私の今回のブログお読みになったら、是非是非教えて頂きたいことがあります。

私はお寺の住職をしておりますが、実際のところ(あくまでも私の感覚ですが)、ご先祖の供養に対する檀信徒の姿勢は蔑ろの一途をたどっておるようにおもわれます。
ハチさんは「伝統は人間の知恵の結集だ。しかし、その姿は時の流れのなかで変化を積み重ねる。ある時代の形のみに囚われてしまうと、肝心な知恵の結集が見えなくなる」とおっしゃっておられます。

確かに、住職である私は、法事や月参り、彼岸供養など直接、関わっておりますので、先祖供養とはこうだ、イエとはこうだと、いう思いが強いのかもしれません。その結果、ハチさんのおっしゃっておられる「ある時代の形のみに囚われてしまうと、肝心な知恵の結集(伝統)が見えなくなっている」のかもしれません。

逆にお伺いしたのですが、(ある時代の形のみに囚われてしまっていないからこそ?)ハチさんに見える、家族やご先祖を蔑ろにしないための「肝心な知恵の結集(伝統)」とはいかがなものなのかを是非教えて下さい。是非その知恵の結集を教えていただきたいです。私もそれを生かしていきたいです。

ちなみにこれは余談ですが…。
ハチさんがおっしゃっているとおり「多くの人が苗字を持つようになって100年余り」という考えがあります。これは江戸時代の話ではありますが、寺や農村の古文書等を見るとそのほとんどの場合において、私称ではありますが名字や屋号を確認することができるそうです。小作人までも名字の書いてある古文書も多く存在しているそうです。それ故、現在では「江戸時代の庶民には名字が無かった」という説は、研究者の間でほぼ完全に否定されているそうです。古文書を研究している友人が以前、そう言っていました。実際、私のお寺の過去帳もすべての人に、血縁共同体としての屋号もしくは名字と、その続柄が書き記されております。
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by fumonken | 2009-10-14 21:12 | 日課抄・歳時記 | Comments(4)
Commented by ハチ at 2009-10-16 18:22 x
私が考える「知恵の結集(伝統)」とは
「真摯な思いを真摯に受け止める能力を養う技術」
という言葉で人様に伝えられるかもしれない。

芸術は爆発だと言った御仁もあったが、しきたりや作法、伝統という型の中にこの爆発が生き続けているものを伝統と言うべきではないかと思う。

例えば
芸の上達のためにお茶断ちをする人があるとする。
主眼(爆発するほどの真摯な思い)は芸の上達なので、日々稽古に励む。
お茶断ちは本人がモチベーションを維持するための個人的な儀式、知恵の一つだ。。

それを見ていた人がお茶断ちをすれば芸が上達すると思い込む。
しかしお茶断ちをしても一向に芸は上達しない。このお茶断ちは知恵でも何でもない。
Commented by ハチ at 2009-10-16 18:23 x
時としてお茶断ちという儀式や形に拘ってしまう。形は何だっていいのだ。お千度でも、酒断ちでも、ミクシィでも、右足から靴を履くでもかまわない。
大切なことは、芸の上達を願う爆発するほどの真摯な思いとモチベーションを維持するテクニックだ。

時として名字やイエに拘ってしまう。形はなんだっていい。血がつながっていなくても、親の名字が別であっても、宗教が違っても、人種が違ってもかまわない。
大切なことは、自分の命を育んでくれた人や物に思いを馳せること、真摯な気持ちで遠い昔に生きていた人の人生や今の家族の思いを知り、愛情と共にそれを子供に伝えるテクニックだ。

名字やイエは過去には知恵の一つとして機能したかもしれない。今も果たして知恵として機能しているだろうか。形を踏襲することに拘ったり、昔は良かった、今はなってないと切り捨てるよりは、形は違っても今の時代の知恵を探す方が賢明だ。
Commented by ハチ at 2009-10-16 18:24 x
申し訳ないが「法事や月参り、彼岸供養など」を意識したことは無い。
信心の無い私が寺で手を合わせても、それはマナーでしかない。
親類の年寄りから昔の話を聞き、顔も知らない数代前の先祖の生活を知った。
事実というよりは物語化しているのかもしれない。それをまた子供に伝える。
「君を大切に思っているのは、君が顔を知っている人だけじゃない。」
「君が思っているよりもっと沢山の人が、君のことを気にかけているのだ」
と伝え、それを私の先祖供養としたい。

数日前に知人が孤独の中で突発的に自ら命を絶った。
「君が思っているよりもっと沢山の人が、君のことを気にかけているのだ」と伝えたかった。が、果たして伝えたところで思いとどまってくれたか、思いとどまって生きていることの幸せを感じる生活を送れたろうかと考える。

>ご先祖の供養に対する檀信徒の姿勢は蔑ろの一途をたどっておるようにおもわれます。
ご住職が言われる「ご先祖の供養」とは何ですか。
よろしければご教授ください。
Commented by fumonken at 2009-10-20 14:57
ハチさんへ
いつもコメント有り難うございます。ハチさんのコメントには考えさせられる天がいくつもあります。是非、今後とも色々お話をしていきたいです。つきましてはもしよろしければ、私のメールの方に色々意見をお聞かせ願いたいです。メールアドレスはfumonken@nifty.COMです。ぜひおねがいします。