普門軒の禅寺日記・京都の宿坊・お寺に泊まる

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虚しさ

先日、ヤフーのニュースに風船アートの国際コンテストの記事と写真が載っておりました。巨大な恐竜なのか、ドラゴンなのか。たくさんの風船を使って、作ってありました。どうやらそれらを風船アートというそうです。

「だからなんなの?」。私の感想です。

奇しくも大きな禅寺に行きますと、本堂の天井に大きな龍の絵が描かれております。またある神社の祭の時にわらで大きな龍を作る習わしもあります。それらの龍と風船アートのドラゴン。私にとって明らかに違いを感じさせます。それはむなしさです。風船アートのドラゴンを作った人と本堂の天井に大きな龍を描いた作り手の思い、そしてどれだけの人に望まれて生まれてきたのか。この差です。それを思うと虚しさをかんじます。

天井の龍や祭りの龍の周りには「信」という思いを持った人々がたくさんいます。しかも「信」という思いを持った人々はその時代だけでなく、前の時代、次の時代にも存在します。そしてそれらの時をも超えた人々の思いに答えんとする作り手がいます。

そんなことに思いを抱くと、風船アートのドラゴンはとても虚しく思えてきます。あのドラゴンどんなにたくさんの人々の思いによって生まれてきたのでしょうか。本当に望まれて生まれてきたのでしょうか。もっというと本当にアート(芸、技、術)と言えるのでしょうか。単なるパフォーマンスではないでhそうか。今のご時世はそんな物が多すぎます。これは「信」のある祭りと、「一過性」のイベントの違いであることでしょう。
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by fumonken | 2009-10-13 19:42 | 日課抄・歳時記 | Comments(1)
Commented by かぐら at 2009-10-16 00:06 x
この話、同意します。「本物とはなにか?」という視点が根付いたみたいですね。私も人生を通して見つめたい真理はそこにあります。
私も現代アートや現代の建築家のモダンな家なんかを見ると「あちゃー!」って思ってしまいます。そんなに自己主張してどうするの?と感じです。一瞬の自己満足の表現でしかありません。

私のやっている漆芸は確かに現代の暮らしにはちょと身近ではないかもしれません。しかし、漆芸の製作過程には先人たちの知恵がたくさん詰まっています。材料にせよ、磨きにせよ、あの漆黒の艶を出すのにどれだけの知恵と手間が掛かっているか・・・・・・。実際、製作してみて本当に先人の知恵の結晶だと思います。これ以上の漆芸はないでしょう。
小さな、傷ひとつ付けずに一心不乱に何時間も磨く作業は、ほとんど禅の瞑想に近いものがあります。磨いて磨いて磨きまくって見えてくるものは、漆黒の漆に光った自分の顔です。なんともまあ自分の精神を問われているような気さえしてきます。だから、もっと上を目指しやめられないのかもしれません。私はそんな日本のものづくりが大好きです。そこには沢山の先人たちの知恵が詰まっているからです。本物はそこにあります。